関東在住旧制松江中学・松江高校・松江北高同窓生を中心に全同窓生が交流・親睦を図り母校の発展に寄与する場です。
令和以前のホームページ
島根県立松江北高等学校 近畿双松会

     

近況報告 第69回東京双松会総会に出演します

徳安諒氏 

(松江北高2020 年卒、72期)
 近況報告は こちら

2024年11月1日掲載

近況報告 AI高校生

西村二郎氏

(松江北高1955 年卒、6期)
 近況報告は こちら

2024年10月16日掲載

近況報告 亀田/亀嵩 & 深大寺

中村康一氏

(松江北高1965 年卒、16 期)
 近況報告は こちら

2024年10月2日掲載

近況報告  念願の映画主演作が全国順次公開です!

松田崚汰氏

(松江北高2017 年卒、68 期)
 近況報告は こちら

2024年9月25日掲載

近況報告  松江市の市報にエッセイを寄稿しました

白石洋一氏

(松江北高1995年卒、46期)
 近況報告は こちら

2024年9月6日掲載

近況報告 へるん先生を巡る旅

小林綾子氏

(松江北高 1973年卒、24期)
 近況報告はこちら

2024年8月5日掲載

近況報告 「こころのやまい」に、やわらかなまなざしを

佐々木淳氏

(松江北高1994年卒、45期)
 近況報告はこちら

2024年7月11日掲載

会長ご挨拶  地域のレジリエンスということ

東京双松会会長 毛利信二

(松江北高1976年卒、27期)
 挨拶文はこちら

2024年5月23日掲載

近況報告  松江市の市報にエッセイを寄稿しました
 
東京双松会事務局長 森岡正士

(松江北高1980年卒、31期)
 近況報告はこちら

2024年6月13日掲載

第68回総会終了

2023年10月14日土曜日 品川プリンスホテルで第68回東京双松会総会を終了致しました。
会員の皆様には、感染症収まりきらない折、また、ご多忙の中にもかかわらずご参加頂きありがとうございました。
4年ぶりの開催で準備が行き届かない部分もあったかもしれませんが、少しでも楽しくお過ごしできたとすれば事務局としても幸甚に存じます。
頂いたアンケートや各種ご意見を基に来年も10月に総会を開催すべく企画立案し、追ってご案内させて頂きます。
次回もご来場頂ければ幸いです。
また総会と総会の間に1月の新年会4月の観桜会・8月の納涼会などの小規模の懇親の場のご案内を差し上げますので、ご都合がつく様でしたらご参加下さい。
引き続き東京双松会にご支援・ご協力の程よろしくお願い致します。
(尚、総会の詳細は追って掲載致します。暫くお待ちください。)
東京双松会 事務局長 森岡正士

2023年 第68回総会報告

2023年11月8日掲載

リレーメッセージ第11回
佐々木淳氏(北高45期/平成6年3月卒)

先輩の吉田尚史先生からご指名を受けました佐々木淳と申します。
安来一中の2年だったころ、吹奏楽部のOGが定期演奏会に誘ってくださったことがきっかけとなり、北高とのご縁がはじまりました。
中・高・大と吹奏楽部を続け、今は大学で心理学を教えています。
大学院が東京だったことから、今回お声がかかったようです。
大阪に来てから15年目となり、よく歩いた井の頭線沿線もずいぶん様変わりをしたようで、最近、渋谷で迷子になった自分におどろきました。しかし、7年ほど井の頭線と中央線あたりで暮らした経験から、今でも春になると神田川や善福寺川の桜を思い出します。
心理学と申しましたが、私は企業で従業員や管理監督者の方向けに臨床心理士・公認心理師としてカウンセリングをおこなってきました。
会社でカウンセリング?と不思議に思われる方も多いかもしれませんが、会社の中には心の健康状態、つまりメンタルヘルスに負担がかかる要因が数多くあります。長時間労働、パワハラ上司、能力に合わない作業、会社の将来性、同僚との人間関係、会社の風土、、、といった要因があると、気分がふさぎ込んでしまったり、病休や退職に追い込まれて、なかなか立ち直れないことがあります。
しかし、これまでの日本では、「仕事なんだからつらくてもしょうがない」「つらくても頑張って働くのが社会人だ」「病気になったのはその人が弱いからだ」という考え方が根強くあったのではないでしょうか。会社が社員の方のメンタルヘルスを気遣うことは、決して社員を甘やかすことではなく、元気に働いてもらうことで作業効率を高め、育成した人材の流出を防ぐことにつながります。残念ながら、メンタルヘルスを会社がケアするという考え方はなかなか広まっていきませんが、私は地道にこの活動を続けたいと思っています。
大学では研究の他、臨床心理士・公認心理師の育成や生涯教育にも携わっています。私の所属学部の50周年記念行事で心理職の育成についてお話したことがありますので、興味のある方はご覧ください
時代とともに生きる心理的支援 
北高とのご縁といえば、浪人生として臨んだ大学受験のとき、慣れない京都で迷子になったことがあります。
寒いのでとりあえず暖かいところに入ろうと、ふと立ち寄ったコンビニで道を教えてくれたのは、なんと北高のホルンの先輩でした。
前回のリレーメッセージの吉田先生とは、留学先の関係で知り合うことができました。これからも、ふとしたところで北高OBの方々とのご縁を感じることができたら、と願っています。

2023年9月6日掲載

「宍道湖のアオコ」

西村二郎氏(松江高校6期/昭和30年卒)ご著書の紹介
「データから読み解く宍道湖の水質」をAmazonから電子出版されました。
①2012年宍道湖でおきた自己制御性に基づくアオコの大発生と大流出によるレジームシフト
②アオコ大発生の再発の危険性
③シジミの増加策・中海の赤貝の復活策
④山室真澄諮問委員会の問題点など
※ 無料キャンペーン期間(9月6日17:00-10日16:59)が設定されています。
kindle端末(またはPCのkinndleソフト)にダウンロード・御一読下さい。

2023年9月4日掲載

10月14日総会のご案内と共に!!
妻屋秀和氏の公演ご紹介

連日の酷暑やゲリラ豪雨などで不安定な気候が続きますが、いかがお過ごしでしょうか?
4年ぶりの総会も2ヶ月先に迫っております。
ご参加の申込も順次頂き、誠にありがとうございます。
さて、総会当日はドン・カルロご出演の為、ビデオメッセージを頂きます。
世界的にご活躍の中、国内での「妻屋秀和氏の公演」ご案内です。
妻屋秀和氏のこれからの公演案内  

2023年8月6日配信

メンバー登録のご案内

東京双松会は、東京・関東に在住の方に限らず、卒業生であればどなたでも参加できます。
この数年は、コロナ禍で全ての活動が停止し、時が止まった状況でした。
改めて、皆様と再会・交流を始めたいと思いますので、ご登録をお待ちしております。
以下本会メールに、氏名・卒業年度・住所・連絡先電話番号等をご記入の上、送信してください。尚、お送りいただいた個人情報は厳正に保護管理され、本会の運営以外に使用されることはありません。
送信先:tokyososyokai@gmail.com

2023年6月8日配信

第68回 総会開催決定

開催日時 2023年10月14日土曜日11時~15時
開催場所 品川プリンスホテル メインタワー

2023年4月8日東京双松会幹事会に於いて、今年度の総会開催を決定致しました。
新型コロナ感染拡大の影響によって丸3年分(65回~67回)の総会/各種イベント中止を経て、皆様と再会できることを楽しみにしております。


2023年4月8日配信

【会員寄稿】
ラフカディオ・ハーンin 2022
中村康一氏(第16期・昭和40年卒)
     

コロナ第8波の中での年末年始に思うところ。昨年はどんな年だったのだろうか?
相変わらずコロナ自粛が続き、北高サッカー部だった私はカタールWCでの寝不足の日々を過ごしていたが、やっと落ち着き................

ふと気付いたのだが、昨年はハーンに関する新刊書が二冊出版された。二つとも著者は女性である。

モニク・トゥルン「かくも甘き果実」(4月、集英社)
田淵久美子「ヘルンとセツ」(8月、NHK出版)
(写真 ①単行本二冊の表紙)

さらに、新聞でも.....................

「文人の武蔵野(小泉八雲)」(読売新聞武蔵野版、3月15日~18日連載)
「よみほっと-旅を旅して:隠岐-ラフカディオ・ハーン「知られぬ日本の面影」
(読売新聞日曜版、9月11日)

(写真② 新聞記事)

おりしも、昨年は松本清張(1909-1992)没後30年。様々な「清張本」が刊行され、TVでもドラマ再放送や新作ドラマが続いた。ハーンが没したのは1904年(明治37年)。
今年は没後118年である。

100年以上前にこの世を去った作家と2022年に何か関りがあるのだろうか? 

モニク・トゥルンはサイゴン生まれのベトナム人、6歳のときに戦争難民としてアメリカに移住。イェール大学、コロンビア大学卒の才媛。上記の書でジョン・ガードナー小説賞を受賞。他にも様々な賞を受賞している注目の作家である。

田淵久美子はご存じの方も多いと思うが、益田市出身の脚本家、作家。NHK大河ドラマ「篤姫」の脚本でも広く名を知られている。

ハーンと言えば、耳なし芳一、雪おんな等の怪談が真っ先に頭に浮かぶ。だが、この二冊は放浪の旅を続け、最後に日本で「小泉八雲」となって骨をうずめた男の人生に深く関わった三人の女性の物語である。ハーンは放浪の人であり多面的な作家なのである。

モニクが描くのは........ハーンを捨てた実母「カシマチ」、ハーンの最初の妻で解放奴隷の「フォーリー」、そして、日本で結婚した2番目の妻「小泉セツ」。

ギリシャで支配階級の家庭に生まれたカシマチは、移住先のアイルランドでハーンを捨て帰国。一人残された16歳のハーンは裕福な叔母の世話になりながらカトリック学校に進んだ。しかし、その学校での事故で左目を失い、叔母も没落し、退学を余儀なくされる。19歳のハーンは1869年、絶望の果てに単身でアメリカ行きを決意。一文無し、不自由な目、知り合いもいなく、ニューヨークを彷徨うことになる。シンシナティで結婚したフォーリーと別れ、仏領西インド諸島に一年半あまり滞在。そして、1890年(明治23年)4月4日、横浜港に到着。放浪の最後の地となる日本に上陸したのである。そして、その年の9月に私たちの母校、当時の「島根県尋常中学校」の英語教師となり、セツという伴侶を得て日本人、小泉八雲となる。

モニクはベトナム戦争で幼くして故郷を追われ、アメリカに渡った。放浪とは言わないが生まれ故郷を捨てざるを得なかった。このことが放浪の人、ハーンの生涯に関心を持たせたのだろうか? モニクは2015年に小泉八雲記念館を訪問している。彼女はこの本の謝辞の中で ”ついに私の納得のいく小泉セツに「出会う」ことができたのです。”と記している。(注1)

田淵久美子は、「セツ」に焦点を当てる。セツは武家の娘として慶応4年(明治元年)に生まれる。18歳で最初の結婚をするが夫は失踪。明治維新後の実家の没落の果て、縁あってハーンの身の回りの世話をする職に就いたセツ。二人の出会い、セツの語る怪談への興味、そして結婚にいたるまでの松江での生活が描かれている。会話の大半は「出雲弁」となっている。ただ、田淵は石見の生まれ、多分、出雲弁は身近ではなかったと思う。私が子供の頃しゃべっていた”ズーズー弁”とはほんの少しだけどニュアンスが異なっているように感じた。ただ、これは大した事ではない。子どもの頃に遊び回った松江の街並みを目に浮かべながら、あっという間に読み終えた。私の実家からは、ヘルン旧居(小泉八雲旧居)も普門院もそれほど離れてはいない。

ハーンは怪談だけの作家ではない。放浪の人。フランス語も堪能なジャーナリスト、新聞記者、紀行作家、東大と早稲田大では英文学の講師も勤めている。なんと、東大でのハーンの後任は夏目金之助(夏目漱石)である。余談だが、八雲も漱石も南池袋の雑司ヶ谷霊園に眠っている。(注2)

ハーンの本を思い付くままにめくったら、昔を思い出した............... 

(写真③ 書棚)

北高の英語の授業のサイドリーダー(高校生向けにリライトしたもの)でハーンを読んだ。今でもハッキリ覚えているのはFumon-in。「神々の国の首都」の中の小豆磨橋(あずきとぎばし)に出てくる。普門院は子供の頃、よく魚釣りに行った寺である。境内が北堀川に面しており、フナ釣りに人気だった。私が英語に興味を抱き、英語を使う仕事に就いたのは、北高時代のこのリーダーがきっかけだと思う。

それから、「狐」という話に出てくる石橋町のお稲荷さんの話。
“松江のあるとてももの淋しい、よそ者で道に迷う心配さえなければ、通りたくない道筋の一つであるが、そこに「地行場の稲荷」または「子ども稲荷」と呼ばれている社が立っている。(注3)

子ども稲荷は私の実家の近くで子供の遊び場だった。お祭りには露店が並び、夜店もにぎやかだった。鳥居前の広場に自転車でやって来る紙芝居屋も楽しみだった。見物料として買った水あめを割りばしでこねて、白くなってから舐めたのを覚えている。昭和30年(1955年)頃の話である。

ハーンは、田原神社(通称、春日神社)を散歩していたとの記述を目にすることがよくある。(注4)この神社は松江北高(私の時代は松江一中だった。通称赤山)の裏手、奥谷町にある。ただ、私はハーン自身の著作の中でこのことを目にしたことがない。もし、本当にハーンが田原神社を訪れていたなら、正面の鳥居をくぐり抜けてすぐその両脇にある子連れ獅子像を見たはずである。この獅子像は私の先祖の手になるものだ。私の実家は幕末から続いた石屋だった(祖父の代、1950年代後半に廃業)。実家に保存してあった当時の下絵を見ると、嘉永三年(1850年)、石屋乙右衛門とある。偶然だが、ハーンは1850年生まれなので、この獅子と同い年となる。来待石で造られたこの獅子像(阿と吽の2像)は現存している。尚、この下絵は掛け軸にしてあり、北高の同期生、地質学者の野崎保君の仲介で松江市の来待ストーン・ミュージアムに寄贈した。

ハーンの本を手に取る度に、子供の頃の遊び場やお祭りを懐かしく思い出す。普門院、ヘルン旧居、塩見縄手、子ども稲荷、春日神社、大橋川等々、、、
歳を重ねたお陰なのだろうか? 

(写真④ 下絵:掛け軸)
(写真⑤ 田原神社の子連れ獅子:阿の像)

ハーンと2022年の関りは何も浮かんで来ない。

モニクの原書(英語)の出版は2019年。翻訳版と田淵の本の出版が2022年。この二冊を続けて読んだことが、本文を書くきっかけになったのは確かである。ハーンに関する新刊本が没後100年を超えて出版されるのには何があるのだろうか。

ラフカディオ・ハーンへの興味がますます深まった。 (完)

(追記)
市報松江(2014年2月号)に拙文「新宿、ハーン、松江」を掲載して頂いた。
都内にもハーンにゆかりの所がいくつかある。(注5)


(注1)I “met” at the Lafcadio Hearn Memorial Museum a Koizumi Setsu who, at last, made perfect  sense to me. (原文のまま)
(注2)池田雅之(編訳)「小泉八雲東大講義録」(角川ソフィア文庫)
(注3)平川祐弘(編)「神々の国の首都:狐/第13章」(講談社学術文庫)
    地行場(じぎょうば)町とは土塁の町という意味である。
    それは沼を埋めた土地にある。(原注)
    *私の親たちは子ども稲荷のことを地行場と言っていた。(筆者注)  
(注4)田原神社は松江市奥谷町に鎮座する神社~(中略)~小泉八雲が好んで訪れていた。               (Wikipediaより)    
    *「春日さん」と呼んでいた。子供の頃、親しみを込めて神社を”さん”と呼んでいた。天神さんにお参りする、武内さんのお祭り等(筆者注)
(注5)市報松江 平成26年2月号 (city.matsue.shimane.jp)
◆随筆「新宿、ハーン、松江」(東京双松会HP 令和以前/5.自由投稿)

東京双松会本部より

27日13時半より、エンパワーメントプログラムの発表会を配信します。
本事業は双松会員からの寄付による世界の人たれ基金を活用しています。
エンパワーメントプログラム発表会  
昨年の様子は動画にしてアップしてあります。
昨年の様子!

令和4年12月19日

令和4年度「総会延期」のお知らせ
東京双松会 会長 井原勝美

新型コロナウイルスの猛威のため自粛などを余儀なくされている毎日ですが、会員の皆様におかれましてはお変わりなくお過ごしでしょうか。
この度の新型コロナウイルスに罹患された皆様と感染拡大により生活に影響を受けられている皆様に心からお見舞い申し上げます。

平素は東京双松会の活動に格別のご理解とご協力を賜り感謝申し上げます。
さて、令和4年8月の東京都の新型コロナウイルス感染症対策サイトによりますと、新規陽性者数平均は過去最多となり、感染状況は「大規模な感染拡大が継続している」また医療提供体制は「医療体制がひっ迫している」と分析されています。ワクチン接種の効果等で状況が好転することを期待していましたが、陽性者数の推移を見る限りコロナ禍の収束にはまだ遠い状況と思われます。このような中、本年は10月15日(土)に東京双松会総会の開催を予定していましたが、会員の皆様の健康を第一と考え、本年の東京双松会総会の開催を延期とすることにいたしました。

安全に開催するための手段等を会場側と検討を重ね、幹事にて対応策につき協議しておりましたが「会員の皆様の健康が第一であり10月15日は中止、時期を視て延期にせざるを得ない」という苦渋の決断に至ったものです。恒例の総会であり毎年楽しみにされている会員の皆様に大変申し訳なく思いますとともに、3年連続で秋に開催できないことは私個人としても誠に残念でなりません。
失望のほどいかばかりかとお察しいたしますが、何卒ご寛容にてご理解を賜りますようお願い申し上げます。

なお、予定していました高村ゆかりさん(東京大学未来ビジョン研究センター教授、国際法学・環境法学、S58年卒)の講演、大岩篤郎さん(S42年卒)・岩井翔平さん(H22年卒)による東京双松会オペラ歌手の競演、俳優で落語家の富岡寛さん(S46年卒・芸名:秋山格之進・麹家寛太)による落語につきましては次期総会にてご講演並びにご披露いただくよう調整をしています。

末筆ではありますが、会員の皆様におかれましてはご健康に気を付けていただき、くれぐれもご自愛いただきますようお祈り申し上げます。

令和4年8月30日掲載

東京双松会の皆様へ 「ご挨拶」
東京双松会会長     
井原勝美

足掛け3年にも渡るコロナ禍ですが、会員の皆様におかれましてはいかがお過ごしでしょうか。ご自身、ご家族、また親戚やご友人の方が万一影響を受けられた方には心よりお見舞い申し上げます。

さて、東京双松会の総会は残念ながら2年続けて非開催となっています。年1回、同窓の友人に会って近況を交換し、また北高の昨今の様子を知る楽しい機会ではありますが、こうした場を過去2年間提供できていないことは誠に残念としか言いようがありません。

今年は、事務局の皆さんともよく相談しましたが、ワクチンの接種も進んでおり、少しずつコロナ禍も収束の傾向が見られることから、この秋に総会を開催する予定といたします。開催の日時、場所につきましては、この挨拶文の最後に記載してありますので、皆様の予定表に日程の確保をお願いします。勿論、これからまたコロナが再び活発化するような事態もない訳ではありませんので、最終的な開催通知はもう少し日にちが近づいた段階で別途ご連絡しようと思いますが、現段階では日程の確保をお願いする次第です。

総会については以上のような状況ですが、東京双松会のHPにはリレー投稿欄にシニアな大先輩から卒業したての若い後輩まで色々な話題について投稿されています。故郷についての新しい知見が得られたり、会員の抱腹絶倒の人生物語など、興味をそそられるストーリーが沢山取り揃っています。まだご覧になっていない方は、是非目を通していただきたいと思いますし、会員の皆様の積極的な投稿もお願いいたします。

北高卒業生の中には、各方面で国際的に活躍されている方も多いですが、先日もそういう後輩に会う機会がありました。東京松江会の会長を務められている順天堂大学の奥村先生の主催で、この度文部科学大臣賞を受賞されたオペラ歌手の妻屋秀和さん(北高S58卒)のお祝い会が東京會舘で開催されました。妻屋さんは北高から東京芸術大学に進まれ、イタリアに留学、その後ヨーロッパを舞台に大活躍、色々な賞を受賞されています。当日もアリアを一曲披露されましたが、大きな体から発せられる歌声はまさに圧巻でした。昨年の東京双松会の総会に招待し、出席の内諾を得ていましたが、それをキャンセルせざるを得なかったのはとても残念でした。

さて、この秋までにはもう少し間があります。東京双松会の会員におかれましては、くれぐれもご自愛され、この秋に元気な姿で再会できることを心より願っております。それではこの秋にまたお会いしましょう。

「第67回 東京双松会 総会」
日時:2022年10月15日 土曜日 11:00~15:00
場所:品川プリンスホテル メインタワー 宴会場
お問合せ等⇒ tokyososyokai@gmail.com

令和4年5月20日掲載

田部長右衛門講演
2018年10月13日
東京双松会総会

3月4日NHK特集をご覧になられましたでしょうか?
改めて、2018年10月13日総会時の田部氏の基調講演を再読されたいとのご要望がありました。
こちらに掲載いたします。(奥出雲の写真をクリックしてください)

令和4年3月

【番組紹介】
2022年3月4日(金)午前9:00~(BS4K放送)
NHK特集【冬・奥出雲・山林大地主の村】
(初回放送:1987年2月20日 45分)

島根県奥出雲に、5百年にわたり栄えてきた山林大地主の家がある。
代々の当主の名は、田部長右衛門。
戦国時代から続く風習が今も厳しく守り伝えられている。
年末・年始、田部家では行事が集中し、伝統と格式がひと際目立つ。
今も持続する山林大地主の家と村人たちの時代がかった身分関係を冬の奥出雲の風土の中に描く。(24代 田部長右衛門 出演)
【放送日】
2022年3月4日(金)午前9:00~(BS4K放送)
2022年4月以降に再度BS4K及びBSPでの再放送を予定しています。

※ 写真:奥出雲町公式HPより

令和4年2月6日

双松会本部よりご案内

東京双松会会員の皆様  
今年も残り2週間となりました。
双松会本部よりご案内がございます。
(東京タワーの画像をクリックして下さい)
是非是非ご一読頂きますよう、お願い致します。
新型コロナに翻弄された1年でしたが、穏やかな年越しが出来ます様にお祈り申し上げます。
東京双松会事務局

令和3年12月14日

令和3年第66回東京双松会総会の開催中止について

東京双松会会員の皆様へ
東京双松会 会長 井原勝美

新型コロナウイルスの猛威のため自粛などを余儀なくされている毎日ですが、会員の皆様におかれましてはお変わりなくお過ごしでしょうか。

この度の新型コロナウイルスに罹患された皆様と感染拡大により生活に影響を受けられている皆様に心からお見舞い申し上げます。
平素は東京双松会の活動に格別のご理解とご協力を賜り感謝申し上げます。

さて、令和3年8月27日現在、関東地方では1都6県で新型コロナウイルス感染症緊急事態宣言が発令され、さらに地域の拡大や期間延長も検討されています。ワクチン接種の効果で状況が好転することを期待していましたが、陽性者数の推移を見る限りコロナ禍の収束にはほど遠い状況と思われます。このような中、本年は10月16日(土)に東京双松会総会の開催を予定していましたが、前述の通りコロナ禍が収束するにはまだ時間を要すると思われ、何よりも会員の皆様の健康を第一と考え、本年の東京双松会総会の開催を中止とすることにいたしました。
安全に開催するための手段等を会場側と検討を重ね、幹事にて対応策につき協議しておりましたが昨年に続き、「会員の皆様の健康が第一であり中止にせざるを得ない」という苦渋の決断に至ったものです。恒例の総会であり毎年楽しみにされている会員の皆様に大変申し訳なく思いますとともに、私個人としてもとても残念でなりません。
失望のほどいかばかりかとお察しいたしますが、何卒ご寛容にてご理解を賜りますようお願い申し上げます。
なお、予定していました公益社団法人日本バスケット協会(JBA)審判グループジェネラルマネージャーの宇田川貴生さん(S55年卒)の講演、大岩篤郎さん(S42年卒)妻屋秀和さん(S58年卒)岩井翔平さん(H22年卒)による東京双松会3世代オペラ歌手の競演、俳優で落語家の富岡寛さん(S46年卒・芸名:秋山格之進・麹家寛太)による落語につきましては来年の総会にてご講演並びにご披露いただくよう調整をしています。

末筆ではありますが、会員の皆様におかれましてはご健康に気を付けていただき、くれぐれもご自愛いただきますようお祈り申し上げます。

令和3年9月3日

松高8期生 80歳!大先輩からの投稿

オンライン・ミーティングのすすめ  松高8期卒 小林信生
(左の写真をクリックして下さい!)
 コロナ禍の下で、いろいろな新日常が生まれていますが、その中で、オンラインで集まることが出来る「ズーム」や「スカイプ」の利用は、とても有用であると思います。
8期生は80才になったのを機に、体力が落ちてきたので、フィジカルに会う定期同窓会は打
ち止めとしましたが、自宅に居ながら、ワンクリックで一堂に会すことが出来る「ズーム・ミーティング」を立ち上げましたところ、とても好評で、二ケ月に一回、定期的に開催しています。
関東各地と松江にいる者たちが隔離の壁を乗り越えて繋がり、画面上で互いを認識できる
のは、フィジカルな同窓会になかったメリットであり、よい交流の場となっています。
(お詫び:本原稿は7月1日に頂いていましたが、HP担当者がコロナ感染拡大対応にて作業が大幅に遅れておりました。本当に申し訳ございません。)

2021年8月9日掲載

近畿双松会 佐和田氏からの投稿

「近畿双松会会員の佐和田です。さて、近畿双松会HPトピックス、2021年5月3日付で、「松江の地名由来は何ですか?」を投稿しました。多くの松江関係者に読んでもらい、常識として知ってもらいたいとの思いもあり・・・・・・」とメールを頂きました。
(左の写真をクリックして下さい)

佐和田丸氏の(北高10期/S34年卒)の多彩な日常を紹介いたします。
HP 近畿双松会会報2013web版83p掲載
補遺 近畿双松会会報2014web版 48p49p
島根県PR大使・遣島使(けんとうし、遣唐使をもじったもの)
松江観光大使 飯南町応援団 浜田応援団 北海道伊達市心の市民
佐和田登記測量事務所(松江市)顧問
佐和田丸事務所
佐和田丸総合研究所代表
KKユニバーサルコンサルティング顧問
島根県知事表彰(県政功労 平成22.11.3)
頓原町長表彰(現・飯南町 町政功労 平成16.12.19)
元近畿島根県人会役員現会員 元近畿広島県人会会員
元関西頓原会会長 元近畿飯南会顧問
三大琴会会長 縁結びボランティア   雅号大峰
飯南町、松江市、島根県、山陰へお嫁にきませんか。移住しませんか。
大しめ縄の聖地 パワースポット 日本&世界一大しめなわ創作館 
神々のふるさと山陰
沖縄宮古島 佐和田の浜、佐渡が島 佐和田温泉 勝手応援団(佐和田姓のルーツ)
「出雲大社神楽殿大しめなわ6年ぶりの掛け替え」近畿双松会会報2018、74p web版でご覧ください。
森林セラピーの聖地、島根県民の森大万木山(おおよろぎさん,寝仏山、シャカ岳、HP参照。)に、大階段1時間登頂コース誕生! 
国道54号頓原または松江道高野ICから草峠をへて快適な舗装林道約30分で大階段下P。
ここからわずか200m、約1時間登れば頂上。大ブナ原始林、タコブナ、陰陽の展望等、天空の爽快郷、楽しみ一杯です。
304階段にちなみ、「悩み去れよ」コースの愛称もあり、悩みを持つ人が殺到する人気コースとなっている。
県民月一度は大万木山に登り,日頃の悩みを解消しましょう。
いいけん、島根県、美肌ご縁県。
最後までお読みくださって「だんだん」。 「だんだん」は、出雲弁でありがとうの意味です。

2021年6月19日掲載

【双松会ウェビナー開催決定!】

コロナ禍でも北高出身者同士で学びを深め、交流を広げるため、
北高出身で各界で活躍されている卒業生をゲストに招き、30分の先輩のお話を聞いた後、グループに分かれてイベントに参加している他の北高の卒業生とカジュアルにお話できるという内容になっています。
初回は3月20日(土)「本当の情熱の見つけかた」というタイトルで早稲田大学卒、元Googleの社員の三好大助さんをお招きしてのイベントです!
※詳しくはチラシをご覧ください。

参加申し込みはチラシ記載のQRコードからお願い致します。

                                   2021年3月1日投稿

【会員からのメッセージ】
「第二の人生、商社マンから俳優に転身」

22期/昭和46年卒の冨岡寛と申します。自分の名前については、話題の漫画・アニメ「鬼滅の刃」の重要な役に、同じ点無しワかんむり「冨」岡姓の剣士「冨岡義勇」の存在を偶然知り、ちょっと嬉しい今日この頃です。
私は理数科の1期生でもあります。実家の場所は本来、南高の校区でしたが、同校理数科設立は北高の1年後でした。要は偶然が重なって北高に入れたのであり、もし1年ずれていたら、双松会メンバーにはなれなかった訳です。
このように、運命とは不思議なもの。子供の頃から、波瀾万丈とも言うべきか色々な事がありました。幼稚園児の時には放火で家が全焼する直前に脱出する(幸い家族全員無事)とか、小学生では車に轢かれたと思ったら車輪の間に倒れ込んで無傷で助かるとか……。
北高卒業後は早稲田大学理工学部に進学のため上京しました。大学生の時には、下宿先を雷が直撃するとか、路上で二人組強盗に襲われ傘を振り回して何とか追い払う、といった出来事もありました。
大学を卒業し三菱商事に就職。すると、そこは、数奇な生い立ちをも凌駕する、モーレツ企業戦士として国内外を飛び回る日々の、とてもドラマチックな世界でした。
商社時代、私の身に起こった事の一部を以下に列挙したら「事実は小説よりも奇なり」。
・ある輸出品の船積み立会いの為、月8回、港に出張
・投函後の国際郵便物をどこまでも追跡し、相手方到達前に回収
・商談の為、米国1週間/ヨーロッパ1週間と、2週間で世界一周
・研修では、1か月で米国50州の略半分を回る
・中東の某国では、盗賊の出没する街道で車が故障した為、ヒッチハイクする
・インド某プロジェクトの為、東京/ニューデリー間を、ひと月に4往復する
・アジア某国で、尾行され、電話を盗聴される
・アジアの別の某国では、鞄を切られる
・バンコク駐在時、ある年の来訪者接待日数が363日に達する
・同、事情によりレストランの別々の部屋を予約し、客3組を同時並行接待する
等々、思い起こせばキリがありません。
このような厳しくも面白い体験を続けさせてくれる三菱商事に、用済みと宣告されるまで居残るつもりでした。が、またまた、どんでん返し!
妻が、何故か若年性認知症になってしまったのです。その時私には、介護離職する道しかありませんでした。
ただ、転んでもただでは起きないのが私です。その時、ハタと思ったのは「残りの人生を介護だけに追われるのでは面白くない」そこで発想を大転換、「介護の合間に新しい事に挑戦しよう!」と。
結果、俳優に転身、という奇策に至りました。
その背景となった意図でもありますが、
①辛い介護の隙間時間を楽しい事で埋めたい
②子供が無い(つまり子孫が居ない)ので、自分の生きた証として映像に残りたい
③商社とは違う形で社会に貢献したい
という、スケールもグレードも違う三つの理由から、60過ぎの「新人」俳優に。
日テレ100%出資のタレント事務所、ニチエンプロダクションのオーディションを受け、登録しました。
芸名は、自分で思い付き「秋山格之進」とさせてもらいました。これは、
①池波正太郎の時代小説「剣客商売」の主人公、「秋山」小兵衛
②落語「柳田格之進」の主人公、柳田「格之進」
③ご存じ「水戸黄門」の「格さん」こと、渥美「格之進」
という、武士三人分のパクリです。
俳優業でも、これまでの(冒険に満ちた)半生が多少なりとも役に立っていると、感じています。基本的に、現場で何があっても驚かないですし。
ただし、時間の使い方は、商社と俳優業では全然違います。
商社マンは時間を無駄にしない。常にパスポートを用意し、飛び回るか、電話やメールをするか、書類を作成するか……。
俳優は「待つ」仕事です。出番待ち、大物俳優待ち、雑音収束待ち、天候回復待ち……。
実は、昨年3月に、とうとう妻が他界してしまったので、俳優転身への理由の内ひとつは消滅したのですが、「人生の長さは決められないが、幅はどうにでもなる」という考え方から、幅を1ミリでも広げるべく、続ける事にしました。
尚、若い人達に言われてTwitterやInstagram等の各種SNSにも着手。時々ですが投稿もしています。いずれも「秋山格之進」で検索すれば見つけられると思います。
ただ、Facebookで友達申請される場合は、原則として「双松会」とか「松江北高」というキーワードを含むメッセージも入れてください。なりすまし等、怪しい物も多いので。
では、俳優「秋山格之進」の応援を、今後共どうぞよろしくお願い致します!

2020年10月18日掲載

近況報告1(毛利氏の写真をクリックしてください)

早いもので8月も終わり、例年でしたら秋の総会に向けて、何かと気忙しくなる頃かと存じますが、日本のトップは変わっても、なかなかウイルスの収束が見えないところです。
 お盆にも帰省は遠慮しましたが、どうしても仕事で帰る用事が出来、先日私費で初めてPCR検査を受けた上で、帰省してきました。高校でクラスターが発生し、ピリピリしているかと思っていましたが、お目にかかった経済界の方々は案外落ち着いている様子で、その経験から、また山陰中央新報羅針盤に投稿しました。

島根県の経済が心配ですが、元気な若手経営者の皆さんが現状を乗り越えていかれること、そして会員の皆様とご家族のご健勝をお祈りしています。

毛利信二(東京双松会 副会長)

2020年9月3日掲載

近況報告2

  東京双松会会員、大岩篤郎さん(S42年卒)が「東京室内歌劇場メンバーズコンサート 2020 in summer」に出演されました。
曲目は、今 朝ドラで話題の 古関祐嗣作曲「イヨマンテの夜」です。

東京室内歌劇場


   

2020年9月3日掲載

「with コロナ・with 伊勢宮」
松江からの報告(北高35期/西村幸平)
(伊勢宮の写真をクリックしてください)

東京双松会の皆様、はじめまして。私は35期の西村幸平と申します。
東京在住ではなく、松江市内で企業して今年で16年目になります。事業は主にオーダー家具製造販売・内装工事等を行っており、東京へも年3〜4回は出張しています。都内ではホテル家具・銀行のカウンター工事・店舗什器など手掛けています。敷地1000坪ほどの工場で製造業を営んでいると(借り物ですが)よく「何代目?」と聞かれ、「私が創業者です」と言うとビックリされます。企業にあたっては色々な事情があり、かなり悩みましたが、39歳で家具製造業の創業者と言う道を選びました。経営なんて学んだ事もやった事も無く、四苦八苦する中、4年目にあの「リーマンショック」がやってきました。今もそうですが、売上の7割近くが東京・大阪などの大都市圏だった為、すぐに影響が出て、あっと言う間に前年の売上の半分になりました。まだ蓄えも無く銀行との信頼関係も浅く、倒産寸前まで行きましたが、助けてくれたのは伊勢宮でした。
創業当時は市内には取引先もなく、建設会社などは昔ながらの取引先があり、取引を始めるには値段を下げなければいけない。弊社の家具職人の腕には自信があったので値下げには応じず、他の取引先を探していたところ、伊勢宮の店舗改装の依頼を受ける事になりました。聞くところによると、伊勢宮など、いわゆる飲み屋さんの仕事は、金払いが悪いとか、反社会的勢力が絡んでいるとかと言う根拠の無い理由でやりたがらない業者が多かったのですが、紹介して頂いた方も信頼が置ける方だったので、ためらう事なく仕事を受けました。ただ、設計・デザイン・電気・水道など全てを請け負うのは初めてだったのでかなり苦労しましたが、出来上がりを気に入ってもらえたようで、そこから色々な店舗のオーナーを紹介してもらう事になり、今では伊勢宮・東本町・米子で大小合わせると約50店舗ほど改装工事を行いました。考えてみれば私の本籍は「伊勢宮」でした。水があったのでしょうか。
ただ、今はその伊勢宮が「新型コロナ」の影響で悲鳴をあげています。人が全くいない真っ暗な夜の伊勢宮を初めて見ました。「リーマンショック」は地方の飲食店はそこまで影響が無く、そのお陰で弊社も助かったのですが、今回は伊勢宮内の店舗からクラスターが発生した事もあり大変な状況です。居酒屋は料理のテイクアウトなどして、しのいでいるお店もありますが、スナックやバーはそう言う訳にもいきません。国・県・市は色々な補助金や施策を出していますが、お堅い書面で何が書いてあるのか分からなかったり、書類など書きなれていなかったり、そもそも風俗営業の店は除外されたりして、早々にあきらめて閉店するお店が多数あります。私もそんな中、お店の様々な相談を受けたり、閉店する店舗備品の売り先を探したり、補助金を受けられるようにお手伝いしたりしています。ただ飲食店が使えるコロナ対策用の補助金は発表されてから1週間も経たずに締め切られ、まだまだ足りていない状況です。松江商工会議所は「松江GENKI夜市」と言うイベントを開催してプレミアム付きチケットを販売して伊勢宮・東本町の飲食店を盛り上げようとしています。島根県も「しまねプレミアム宿泊券・飲食券」を販売し、申込も順調のようです。東京のみなさんも「東京差別」「東京由来」など言われるなか、帰郷もままならないでしょうが、戻られるようになった際はぜひこのチケットを使い島根の宿に泊まり、伊勢宮・東本町など飲食店へ足を運んで下さい。
私も微力ながら恩ある伊勢宮をはじめとする飲食店の為、新型コロナが終息するまでは「with コロナ・with 伊勢宮」でがんばっていこうと思います。

株式会社ウッドスタイル

2020年7月14日掲載

終息へ願いを込め 妖怪「アマビエ」 
中村康一前東京双松会事務局長
(北高16期、調布市在住)

このところ、SNS、新聞などで話題の疫病退散のシンボル「アマビエ」。
調布市が境港市出身の名誉市民水木しげるさんの描いたアマビエのイラストの提供を始めましたので紹介いたします。(5月1日より、商業利用禁止)
コロナウイルスに負けないよう、一人一人が我慢強い闘いを継続して行きたいものです。

*アマビエ
弘化3年(1846年)4月中旬発行の瓦版によると.....
肥後国(熊本県)の海中に毎夜光るものがあるので、ある役人が行ってみたところ、アマビエと名乗る化け物が現れて、「当年より6ヶ年は豊作となるが、もし流行病が流行ったら人々に私の写しを見せるように」といって、再び海中に没したという。
この瓦版には、髪の毛が長く、くちばしを持った人魚のようなアマビエの姿が描かれ、肥後の役人が写したとある。
(解説: 日本妖怪大事典より 画◎水木しげる、編◎村上健司 ©2005角川書店)

2020年5月26日掲載

「続く感染症との闘い~グローバリズムの真価が問われる」
山陰中央新報掲載(2020年4月19日1面「羅針盤」
より)
東京双松会 毛利信二副会長(北高27期/理数科6期)

 新型コロナウイルスの災禍が見通せず、生活だけでなく社会・経済にも不安と沈滞ムードが広がる。政府の新たな経済対策が少しでも安心をもたらしてくれることを期待したい。
 ヒトからヒトへというこの感染症の世界的蔓延は、改めてグローバル化を認識させた。最初に確認されたとされる武漢という地名に、かつて強大な秦に対し「合従連衡」を模索した諸国の一つ「楚」の中心的都市を浮かべる人は少なく、初めは、彼の国のローカルニュースとしてあまり気にも留められなかったはずだ。が、その後、数カ月にしてほぼ世界中に感染が広がったことは。感染力もさることながら現代のヒト・モノ交流の広がりとスピードを思い知らせるとともに、グローバル化の潜在的なリスクも露呈した。
 中国は、2010年に日本を抜いて世界第2位の経済大国となった。今や世界最大の輸出国、サプライチェーンの中心的存在、そして米国の対外貿易赤字額の半分近くを占める国である。安全保障政策と密接に関わるIT覇権争いも絡み、トランプ政権でなくとも米中貿易対立は先鋭化していたと考えられている。
 その米国を含め、これだけのグローバル化に対し、感染拡大の前から世界の主要国はナショナリズムのうねりに身を投じているように見える。これを近代史の必然とする見方もあるが、東西冷戦が終結した際には「歴史の終わり」と言われ、対立勢力がぶつかり合う意味での歴史は終わったと見られた。
 しかし、世界ではその後も様々な抗争が続き、しかもちょうど文明間の断層で起こることから「文明の衝突」と評されるようになった。そして、それ自体がグローバル化の果たして反動なのか。明確な解の見つからないうちに。国境に壁を築き、経済同盟から離脱するなどナショナリズムが先鋭化し始めたのは事実だ。
 イギリスのEU離脱は、反米主義のフランスのゴーリズムに思想的淵源を遡る共同体とは相いれないものもあったのかもしれないが、経済と移民の問題だけで判断されたことは果たして正しいのだろうか。こうした問題提起がイスラエルの歴史学者からなされている。
 グローバル化の流れは続き、世界はナショナリズムでは答えきれない課題を抱えていると彼は訴える。端的にはITとバイオ技術の融合は雇用や生態系などに深刻な影響を与えうるし、地球環境問題、核戦力などグローバルな課題にはグローバルに対応すべきというごくシンプルな主張である。あたかもパスポートを所持して国境を越え蔓延していくこの感染症にも各国が共同で当たらなければ、ワクチンの開発・普及を急ぎ、社会や経済を不安から解放することは困難に思える。
 それまでわれわれにはなす術もないのか。このウイルスに対して今のわれわれはあまりに非力で、まるで戦力に圧倒的な差がある戦いを強いられているかのようだ。しかし、攻撃手段が乏しくとも抵抗し続けて「負けない闘い」を貫き、最後に打ち克った史実はいくつもある。
 その闘いをするのは、国でも自治体でもなく、われわれ一人一人だ。クラスターを作らないことから手洗いの励行に至るまで、自分と周りの感染リスクを最小化するためわれわれにもできることがある。一人一人がこのウイルスに抵抗し、負けない闘いを続けて行きたい。

2020年5月1日掲載

🆕 新着🏃【SOSしまね】‼
外出自粛が続く中、如何お過ごしでしょうか?
島根県内も新型コロナウイルス肺炎の影響から、人流、物流が滞り、良質な県産品の流通に深刻な影響が出始めています。そこで、羽田君らが新たな流通サイトを立ち上げ、支援を開始したものです。皆さまへの周知を宜しくお願い申し上げます。
東京双松会副会長 毛利信二

東京松江会会員の皆さまへ
皆さまの故郷・松江も新型コロナウイルス禍に襲われ、宿泊施設や飲食など観光関連業のみならず、多くの事業者さんが売上の減少に苦しんでいます。
松江観光協会としましても、そうした事業者さんを何とか支援して差し上げたいと考えてきましたが、このたび協力会社のひとつ、株式会社エードットが中心になって「SOSしまね」という販売支援サイトを立ち上げました。
このWEBサイト
「SOSしまね」
は新型コロナウイルス感染拡大による影響で……、
・商品の販路が急に閉ざされた
・在庫を過剰に抱えて困っている
・コロナ対策用の商品や企画を考えたが、広く知ってもらう術がない
など深刻な悩みに直面している事業者さんが、登録料や手数料などの費用なしで、独自の販路を掲載できるサイトです。
皆さまにおかれましては、ぜひ1度このWEBサイト「SOSしまね」を覗いてみてください。これは松江の事業者さんの悲鳴です。松江になくてはならないお店を支援するために、可能な範囲でご協力いただきますと幸甚に存じます。
 この取り組みをまとめた、事業者さん向けのチラシを同封いたしました。よろしければ、こちらもご一読ください。

2020年4月21日
一般社団法人 松江観光協会
参与 錦織裕司
観光プロデューサー 羽田昭彦
TEL 0852-27-5843
FAX 0852-26-6869
a.hada@kankou-matsue.jp


2020年4月24日掲載

🆕 新着🏃
リレーメッセージ第10回
吉田尚史氏(北高42期/平成3年卒)
第9回の火原彰秀氏(北高42期/平成3年卒)からのご紹介です。

同級生の火原くんからご指名を受けました吉田尚史です。ミャンマーのヤンゴン、その後東京にて、この文章を綴っています。暮らした土地の違いに注目して、病いと文化、そして人の死にまつわる事柄について、生活者の視点で書いてみることにします。
 ふたつ前の錦織さんと同様、国家公務員として在外公館(大使館)勤務をこの3年半ほどさせて頂いておりました。任地はふたつあって、最初はアフリカの島国マダガスカル、そして転勤となって、東南アジアの上座部仏教国ミャンマーへと移動しました。
 最初の任地では、中世ヨーロッパにおいて「黒死病」として恐れられたペストが毎年のように発生していました。例年であれば、外国人がペストに罹ることはまずないので、恐れる必要はありません。貧困とこの病いは無関係ではなく、衛生状態の悪い地区で患者が多く発生していました。ペスト菌は、菌をもつネズミを噛んだノミを介して人へと感染します。腺ペストというリンパ節(腺)が腫れるタイプでは、普段の生活において人から人に菌はうつることは稀です。
 しかし私の生活した2017-2018年シーズンは違いました。「肺」ペストという、ペスト菌が肺まで達するタイプの患者が、人口が集中する首都アンタナナリボで発生しました。首都には日本人も集中して住んでいます(とはいえ全部で60-70名程度)。肺ペストは、飛沫を介して人から人へと感染します。ペストが原因で死んだ人はペスト菌を含んでおり新たな感染を引き起こす可能性があるため、行政は家族から死体を引き離し持ち去ろうとしました。このことで住民との対立が起こって問題となりました。マダガスカル人にとって、死体は大切な「先祖」であり、単なる物質ではないためです。
 他方、ミャンマーで驚いたのは、ミャンマー人は「お墓を持たない」という話を聞いた時でした。率直に言って、衝撃を受けました。ヤンゴンでは、市内にある公立の火葬場で死体を焼いて灰にします。それで終わりです。その場で灰を廃棄すると言うのです。日本人の感覚からすると共感するのは難しいのではないでしょうか。本当かどうかと疑問に思い、もう一人のミャンマー人に事実関係を確認してみました。答えは同じでした。ただし多数派である上座部仏教徒ではないイスラム教徒、キリスト教徒、そして中華系の人びとはお墓を持つということでした。
 これは一体何故なのかと考えてみました。上座部仏教の大事な考え方のひとつに「輪廻転成」があります。死者の魂はこの世で何度も生まれ変わるという思想です。ミャンマー人は、善行を行い「徳」を積むことを良しとします。寄付行為をすることが生活に染み込んでいます。その背後には、より良い来世を得るという思想が横たわっているようです。お墓の話題に戻れば、死者の魂は次の人生に向かうので、墓は必要ないとなるのでしょうか。ただし、同じ上座部仏教国である近隣国カンボジアでは、パゴダ(お寺)の敷地内に先祖の墓を設けます。この差を不思議に思いました。機会があればより深く検証してみたい点です。
 最後になりますが、北高卒業後を簡単に振り返りつつ、文章を閉じたいと思います。医学部へ進学した後、一貫して(精神)医療を生業としてきました。早いもので約20年が経ちました。ただし私の関心はちょっと普通の医療者とは違っているかもしれません。医療者として仕事をしながら、医療そのものを文化として相対的にみるというものだからです。新年度からは、在外での経験を含めた学びを踏まえて、新たな職場で真摯に教育・研究・臨床活動に取り組みたいと考えています。

2020年4月9日掲載

🆕 新着🏃
第1回トークライブ@松江より
報告:羽田昭彦氏(北高27期)

出逢いは(たぶん)一昨年の東京双松会でした。
彼女から渡された名刺を見ると、「遣島使 銀座くらぶのん 山﨑寿子(寿々子)」とあります。「クラブのママさんですか?」と聞いた覚えがありますが、確かではありません。でも、Nice! と心の中で叫んだことだけは覚えています。だって、花のお江戸は“ザギン”のママですぜ。
山﨑さんとはそれきりでしたが、ぼくの方は、昨年4月から松江観光協会で観光プロデューサーなる仕事を始めました。
ある時、新聞社の松江支局長からノンフィクション作家(女性)の講演会に招かれました。彼女とは前の職場で何度かやりとりをしたことがあったので、ホイホイと出かけたんですが、彼女は2時間ほど講演すると、さっさと日帰りで東京に帰っていきました。
興味本位で松江支局長から彼女の講演料を聞いて、まずびっくり。彼女のその月の公演回数は4回にも及ぶと聞いて2度びっくり。ひとり机(いまはPCかな)に向かって原稿を書くのが、バカらしくなるような金額です。
「講演は交流にあらず」ってことなんでしょうか。でも、これって何か間違ってる。地元の人がもっと気軽に参加でき、もっと濃密に中央の俊英と交わえるやり方はないか。
少し遠回りをしましたが、それが山﨑ママを松江に呼んだ理由です。自分の限られた人脈を総動員し、松江と交流してもらう。それを観光プロデューサーの仕事としようと考えたのです。
まず、企画名を「くるま座」としました。ゲストが参加者に向かって一方的にしゃべるのではなくて、ゲストと“車座”になって語り合う場所にしたい、という思いからです。ゲストスピーカーは、比較的すんなりと10名を超える方々が応諾してくれました。「ギャラはいくら?」と、たぶん聞いてこない人に声をかけました(笑)。なかには、橋本大二郎さんや吉永みち子さんなど中高年にはお馴染みの名前もあります。そして会場は殿町の今井書店。川津校舎出身者にとって、聖地だった場所です(ぼくだけですか?)。
さて第一回はどなたにお願いしようと考えていたときに、ふと山﨑ママの名前が浮かんできました。思い切って電話をかけてみると、偶然、3月下旬の3連休に、お店の女の子と常連さんの4人で松江旅行を計画しているとのこと。新型コロナウィルスの拡散にやきもきしながらも、3月20日、なんとか本番にこぎつけることができました。
当日、今井書店2階の狭いスペースに50人以上がぎゅうぎゅう詰め。予想を超える盛況でしたが、うち6割7割はママ関係の方。ママご本人はもとより、市役所にお勤めのお姉さまや彩雲堂の山口周平社長など、北高の同級・同窓生が集客に協力くださいました。
山﨑ママは1993年北高普通科卒の第44期。3年時の担任は元北高校長の泉雄二郎さん(現島根大教授)だったとか。島根大学教育学部に進学しますが、卒業後はすぐに上京。歌手や舞台活動をする傍ら、25歳のときに銀座デビューします。話は、なぜ水商売の世界に飛び込んだかというあたりから始まりますが、やがて夜の銀座のシステムやしきたりに。山﨑さんがママをつとめる「くらぶのん」は43年の歴史を持つ老舗ですが、この店で12年がんばってきた誇りが、話の随所から感じられます。
「銀座の女の子はだいたい1、2年でお店を変わります。店に入ると、まずはお姉さんのヘルプをします。やがてお客さんがついて売り上げを伸ばしても、ヘルプのままだと、売り上げは全部お姉さんのものになるからです」
などという話は、耳にしたことがあっても、現役ママの口から語られると、なかなかの迫力です。会場は笑い声や驚きの声で包まれます。このトークライブのなかで、じつはぼくがちょっとエゲツナイ質問をぶつけたりしています。興味のある方は地元の山陰ケーブルテレビ(Mable)で近く放送されますので、ご覧ください。
放送日は次のとおりです。
4月25日(土)19:30~ 23:30~
4月26日(日)11:30~ 15:30~ 23:30~
4月27日(月)7:30~ 11:30~ 15:30~

最後に残念な情報を。
原稿を書きながらたまたま山﨑ママのfacebookをのぞいたら、3月30日(月曜日)から「くらぶのん」を休業する、とのメッセージが掲載されていました。新型コロナウィルスの影響は銀座にも忍び寄ったようです。 1日も早い再開を、願ってやみません。

リレーメッセージ第9回
火原彰秀氏(北高42期/平成3年卒)
第8回の錦織功政氏(北高39期/昭和63年卒)からのご紹介です。

錦織功政氏よりバトンを受けました火原彰秀です。錦織氏には、松江から東京に出てすぐの時期、東京のBusyさに目を回している自分に、高校の先輩として優しく接してして頂きました。今でも大変心強い先輩です。錦織氏の軽快なお話の次にやりにくくはあるのですが、高校・大学がらみのお話を考えました。
 私は松江北高理数科を卒業後、25年間の学生・大学教員生活を東京で過ごしました。2016年途中から東北大学に移り、仙台生活も5年目に入ろうとしています。大学生の頃からずっと化学や科学計測の研究をしています。
 2017年3月に、北高時代に生物を習った泉雄二郎校長先生(当時)とお目にかかる機会があり、その御縁でその年10月の理数科関東研修にて理数科2年生40名弱にお話をする機会を頂きました。いい機会なので、少し自分を振り返りつつ、今の高校生・大学生に期待することを考えてみました。
 私が松江北高を卒業した1991年3月は、まだバブル経済が終わっておりませんでした。社会が右肩上がりに拡張する空気を吸って高校生までを過ごしたと思います。情報環境としては、インターネット以前ですので、ある「情報環境中心軸」が存在する中で生活していた気がします。今思えば、楽観的・モノカルチャーな雰囲気で育ったのだと思います。
 これに対して、現在高校を卒業する皆さんは、生まれてからずっと、経済的には大きな膨張のない安定した環境のなかで生きていて、我々とは違う空気を吸って生きているのだと思います。情報技術の発展が当たり前で、多種多様な溢れんばかりの情報のなかで生活しています。意見は分かれるとこと思いますが、ある視点から見ると、安定した・マルチカルチャーな雰囲気、Developed Countryとしての日本の中で育った世代と言えるかと思います。
 このような環境変化にあわせて、社会基盤としての教育モデルにも修正が必要と思いますが、この意識を広く共有することには大変な困難が伴うように思います。「大学秋入学・ギャップターム導入」などへの、教育界内外からの大きな反発は記憶に新しいところです。各学校・大学で多様な取り組みがなされてはいますが、現状では一人一人の生徒・学生(とその保護者)が、新時代に目を開いて学びに努めなければならない状況であると感じています。ある意味悲観的なお話ですが、目を開いて見回せばチャンスは昔より広がっている、というお話でもあるかと思います。
 さて、理数科関東研修での講演ですが、自分の研究・キャリア・感じていることを交え、これから大学・社会に進む生徒さんに向けたメッセージとして、「理系の人生 ~大学教員あるいは個人の雑感~」というタイトルでお話しました。大学で学んでほしいことの第一は、教養を広める布石としての教養科目、専門性を高めて最前線に飛び出す準備としての専門科目などの「リテラシー」です。また、思慮深さと、協働・自律的活動・ツール/リソースの有効活用などを求められる、調査研究・ワークショップ型講義に代表される「コンピテンシー」関連の勉強をして欲しいことの一つです。これらの「能力」とともに、「環境選択」「自己管理」もキャリア上大事になることをお話ししました。これらのことを、「プロ・サッカー選手と理系研究者/技術者の類似性」に触れながら説明したところ、生徒たちから一定の理解が得られたと思います。とりわけ「パフォーマンス=能力xコンディション」であることは、印象的な概念だったようです。高校生が聞いたことのないお話をしようと意図した通り、感想文からは多くの新鮮な驚きが読み取れました。時代は常に動いていますので、各自の学びやキャリアの中の「変わるべきでないもの」と「変わるべきもの」を考えるきっかけになったのであればよいな、と思います。
 お堅い話になってしまいました。次のリレーメッセージは、理数科同期の吉田尚史氏にお願いしました。吉田氏は昔から同調圧力に影響されない自由な雰囲気を身にまとっていました。現在でもこの雰囲気を保っている貴重な友人だと思っています。ゆるいお話が頂けるのではないかと期待しています。

2020年3月9日掲載

特別寄稿 野津直生氏(北高67期/平成28年卒)
「MACHITERASU」

松江一中・北高卒業、現在法政大学4年生。2019年末、島根県内の中小企業24社の創業ストーリー・社内で働く方々の想いに特化して取材をした企業紹介冊子を作成、県内の高校2年生に向けて全7,500部を発行し寄贈されました。
島根県の教育委員会の後援、行政・民間・学校と各所の関係者の方々と協働されたとのことです。
学生起業家である野津氏の熱い想いとそのストーリーを会員の皆様にお伝えしたいと思います。
「報告寄稿ページ」をご覧ください。


2020年3月6日掲載

リレーメッセージ第8回
錦織功政氏(北高39期/昭和63年卒)

皆様、はじめまして。私は39期の錦織功政(にしこり のりまさ)と申します。
東京の大学を卒業後、旧大蔵省(現財務省)に入省し、以後、本省勤務や出向を繰り返して今日に至っています。入省時(平成5年)は旧銀行局に勤務し、あの金融危機の最初のステージを目の当たりにしました。のちに住宅専門金融会社(いわゆる「住専」)処理のため投入された国費6,850億円――その後の金融危機対応には桁違いの公的資金が投入されるのですが――という金額は一生忘れないでしょう。特に主計局は人使いの荒い職場で、最初は面白がってやっていた連日の徹夜作業も、そのうち身に堪えるようになり、日曜は一日中寮で寝溜めしておかなければ身が保たない有様でした。結婚後は多少まともな生活になりましたが、午前4時に帰宅すると妻から哺乳瓶のバトンタッチを受け、舟を漕ぎながら乳飲み子に授乳させていたのがまるで昨日のように思われます。

その後、在スペイン日本大使館の勤務(一等書記官)を命ぜられて家族一同マドリッドに赴任し、3年のあいだ一度も日本に戻らず異国の地で悪戦苦闘しましたが、現地の皆さんに助けられて有意義な駐在生活を送ることができました。また暫くの後、次は熊本県庁で企画振興部長として働くことになりました。息子たちも大きくなって東京の学校に馴染んでおりました故、今度は単身赴任。知事公舎真向いに建つ築40年の一軒家で昭和期の貧乏学生のような生活でしたが、仕事はとても充実していました。霞が関とはまったく違う視点から地域の課題に向き合い、様々な人々と膝を詰めて向き合いながら議論し、ときに酒を酌み交わしながら相手の想いを汲み取った末に、両者ギリギリの解を導き出す経験は、何物にも代えがたく思われます。ちなみに、どんな地で働こうとも、「此処ではこうなってるけど、島根ではどうだろう?」と、つい故郷に想いを馳せてしまうのは何故なのでしょうね。

一昨年前より復興庁に出向し、総括担当参事官として勤務しています。東日本大震災の発災から9年が経とうとするなか、今後の復興のあり方を再考して事業や組織のあり方を見直すべき、重要な時代の節目に立ち合う機会を得ました。その他人事や復興大臣のサポート業務まで担当させて頂くなど、非常にやり甲斐のある任務に日々身の引き締まる思いがします。被災地の復興を進めていくと実感するのが、我々の日常生活が様々な方面の様々な(外からは見えづらい)努力のおかげで成り立っているという事実です。官民の事業・サービスだけでなくコミュニティ(人々の繋がり)といった広義の「社会インフラ」がひとたび崩れてしまうと、元通りにするのには莫大な時間と費用がかかります。この状況を目の当たりにすると、全国各地で進行する「少子・高齢化社会」の行く末を垣間見ているようにも思われます。やはりそんな点でも、故郷の将来が気にかかります。

このように、職業生活はそれなりに充実しておりますが、私生活の充実も、ある意味それ以上に大切なことだと思っています。子供のころから色々なことに手を出してきましたが、今も変わらず続けているのは「魚釣り」だけでしょうか。私も皆様と同じように、物心ついた頃より宍道湖でゴズを釣り、シジミを掬ってきました。上京後は多忙のため一時途絶えていましたが、留学の際にフライフィッシング(西洋式毛鉤釣り)と出会い、帰国後は月一回の釣行を欠かさず愉しんでおります。山緑を縫って渓流に分け入り、澄んだ水面に毛鉤を投じると、ヤマメや鱒がそれを咥えようかどうか逡巡しながら近寄って来ます。それを待ち受けるときの期待と興奮は、煩わしい世事をすっかり忘れさせてくれます。この愉しみだけは決して忘れぬよう、これからも時間を作って渓谷に赴こうと思います。

(第7回赤井泰博氏からのご紹介)

2020年2月12日掲載

🆕 お知らせ🏃

東京双松会第65回総会のご案内
令和2年(2020年)10月17日土曜日11:00~15:00
場所:品川プリンスホテル宴会場
講演:宇田川貴生氏(北高31期/S55年卒)
日本バスケットボール協会
理事
講演テーマ【日本スポーツ界の現状と課題】
講演要旨【Bリーグ開幕、八村選手NBA、東京オリンピック等、日本バスケットボールの現状そして日本ス
ポーツ界の課題】
講師プロフィール:
公益財団法人日本バスケットボール協会(JBA)理事、審判委員長/インテグリティ委員長、審判担当ダイレクター
*integrity:誠実・高潔・真摯、組織のリーダーやマネジメントに求められる最も重要な資質

2020年2月3日更新

リレーメッセージ第7回
赤井泰博氏(北高39期/昭和63年卒)
☆写真最前列が筆者

松江北高普通科第39期卒の赤井です。東京に来て30年近く。私の近況をお伝えしたいと思います。
現在、私は「二足のわらじ」ならぬ「三足のわらじ」を履いています。①経営コンサルタント業②ワイン輸入業、そして③小さなイタリアワインバルの店主、というものです。
一つ目の経営コンサルタントですが、国内大手経営コンサルティング会社勤務を経て、2012年に独立してコンサルタント会社を立ち上げました。業界問わず中小規模の企業にお邪魔し、経営者にアドバイスをさせていただいています。お付合いが始まると、売り上げ、利益は毎年着実に伸び、数年もすると社員数も増え、大きな成長を遂げていることもしばしばです。ポイントは、クライアントが持つ長所を見つけ、伸ばすこと。これまでの経験から、成長するクライアント(経営者)の共通点は「素直で、努力を惜しまず、謙虚」であることだと感じています。と偉そうなことを言っていますが、たまたまそんなクライアントに恵まれただけとも思うことも(笑)。でも、コンサルティングの仕事を通して、組織の成長、社員の方々の笑顔を見ることができ、とても有意義な仕事であるのは確かです。
そして、ワイン輸入は2013年からスタートしました。実は、ワインの輸入を始めるまでアルコールで好きなものといえば国産ビールで、ワインのことは門外漢。しかも、輸入なんて…??? という感じ。そんな私がワイン輸入を始めたきっかけは、経営コンサルティングでした。日本のワイン市場に参入したいというイタリアのワイナリーが市場調査を依頼。市場を調べるうちに私自身がワインの可能性に惹かれて当事者としてワインビジネスにタッチしたいという想いが強く芽生え、輸入業者としてビジネスをしようと決意をしたのです。今は、毎年一定量のワインを輸入しています。定期的にワイナリーの所在するイタリア北部ピエモンテ州も訪問し、葡萄畑、ワイナリーの生産設備の確認や商談を行っています。なんと、日本では私だけが輸入するワインです。
最後のワイナリーの店主は……もうおわかりですね。「ワインを輸入しているなら自分の店で並べてしまえ!」と思い至り、
イタリアワインバー「アルゴヴィータ」
を2017年2月に神保町に開店してしまいました。これまた、飲食業未経験(オイ)。厳しい飲食業界の実状を踏まえるととてもリスキーな船出だったかも、と今でも思うことがあります。しかし、おかげさまでこの2月1日に開店3週年を迎えます。神保町の小さな店ではありますが、この店では本当にたくさんの出会いが起こります。性別、年齢、職業、国籍、出身地等を超えて、様々なお客様が来店されるのです。しかも、店内では常連のお客様はもちろん、初めてのお客様も、気軽に楽しく飲み、会話をしています。店内で交わされる、何もかもを超えた多岐にわたる話はとても刺激的で、私自身いつも勉強させていただいています。もちろん輸入しているイタリアワインが品揃えの柱ではあるものの、島根県出身者として地元の食材やお酒も時折ご提供して、島根県のPRもしています。島根県以外のお客様にも大変好評です。高校時代の同級生たちも、心配して頻繁に来店してくれており、その時はさながら同窓会が開催されたようににぎやかです。
そんなお店ですが、機会がありましたら是非ご来店ください! 「松江北高(松江高校)出身!」の合言葉でサービスさせていただきます!

(第6回吉添圭介氏からのご紹介)

2020年1月21日掲載

2020年新年会報告 1月31日金曜日
@品川プリンスホテル「カフェレストラン24」

新年会と幹事会を開催致しました。
世界的なコロナウイルス騒ぎの中、免疫力がとても高い15名が集いました。現役の大学生から現役引退された大先輩まで、老若男女の情報交換と交流は大変な賑わいの中、あっという間の2時間でした。
次回4月2日の観桜会は日本外国特派員協会で行います。会員によるミニ講演会も行うことが確定致しましたので、また、会員の皆様とお会いできることを楽しみにしています。

忘年会開催 2019年12月11日水曜日


東京ブレジュ倶楽部
青山サロンにて開催。
14名参加。食事の後、今話題の「人生会議」の一環として「もしバナゲーム」を行いました。
中高年男性10名2グループでの開催は実に異例です。「もしも余命半年」と言われたら、残された時間に何をするのか?というテーマ。自身の価値観と生き方を見つめるカードゲームです。自分の捨てた「価値観」を他者が拾うという、個人の尊厳についても考えます。お酒も入ってリラックスしながら有意義な時間だったと思います。(報告:嵯峨崎)

東京双松会総会報告
2019年10月19日
11:00~15:00

 令和元年となり、新たなメンバーでの「東京双松会第64回総会」を開催致しました。今回は、参加者の交通利便性を考慮して、品川駅前の品川プリンスホテルにて開催致しました。初めての試みでしたがホテル側とも打ち合わせを重ね、事務局一同仕事の合間に準備を致しました。お陰様で会員100名のご参加を頂きましたこと、心より感謝を申し上げます。来年は、令和2年2020年、200名の参加者を目標に東京双松会のネットワークが一層広がりますよう、更なるご協力を頂ければ幸いです。

事務局長 糸川孝一(S55年/北高31期)

     

【式次第 第1部】
会長挨拶 井原勝美(S44年/北高20期)挨拶
来賓挨拶 松江北高校長 常松徹先生
来賓紹介 双松会副会長 泉雄二郎様
     双松会幹事長 金平憲様
     北高校内幹事 足立芳樹先生
     近畿双松会会長 松本耕司様
活動報告 糸川孝一
会計報告 矢田修治(S46年/北高22期)
監査報告 宮城由美子(S53年/北高29期)
     

総会の詳細は、追って総会ページでご紹介させて頂きます。(只今準備中)

【式次第第2部】司会 加藤有紗(H22/北高61期)      

講演 山田佐世子(S41年/北高17期)
懇親会乾杯 石倉義郎(S30年/松高6期)
🌸懇親会🌸
エンターテイメント 岩井翔平(H22年/北高61期)→こちら
校歌斉唱 大岩篤郎(S42年/北高18期)
副会長挨拶 毛利信二(S51年/北高27期)

  •      

    年間行事のご案内

    今年の年間行事は下記の予定ですが、詳細は都度お知らせ致します。
    1月31日金曜日18時~:新年会
    4月2日木曜日18時~:観桜会
    6月:初夏の会
    8月:暑気払い・会報編集会議
    10月19日:総会
    11月:ゴルフコンペ
    12月:忘年会
    その他随時ご案内予定

    ☆イベント終了報告🌙
    2020年1月31日幹事会&新年会@品川プリンスホテル
    4月5日幹事会&観桜会@東京ブレジュ倶楽部
    8月31日暑気払い@日本橋「主水」
    10月19日総会@品川プリンスホテル
    10月26日双松会コンペ@ジャパンPGAゴルフ俱楽部 
    12月11日幹事会&忘年会@東京ブレジュ倶楽部

    ☆東京双松会リンク一覧☆
    島根県立松江北高等学校
    近畿双松会
    ☆東京双松会関連リンク先募集☆
    各期同窓会、お仕事関係のネットワークを広げたいと考えております。
    リンク先(ご許可頂ける先)ご存知の方はお知らせください。
    tokyososyokai@gmail.com

    2019年4月5日
    観桜会@青山
    第二回幹事会&観桜会を青山の「東京ブレジュ倶楽部」にて開催致しました。
    参加者の20名は、平成卒業生から松高卒業の80代まで幅広く集いました。
    井原会長の挨拶、石倉顧問の乾杯の後、島根和牛のローストビーフ等 島根の食材をふんだんに使った美味しいフレンチを楽しみながら和やかなひとときを堪能しました。
    会の中盤、参加者ひとりひとりの自己紹介と近況報告が行われ、より親しみを深められ盛会のうちにお開きとなりました。
    事務局 糸川孝一(S55年卒)

    2019年8月31日
    暑気払い@日本橋「主水」🍢🍻
    井原会長主催の暑気払い(納涼会)を日本橋のしまね魚酒場「主水」で開催致しました。芦田前会長を始め、東京双松会イベントに初めて参加される方も含めて18名が島根の銘酒や懐かしいお料理に舌鼓を打ちながらあっという間の二時間でした。

    各イベントの参加申し込みはこちらへ↓
    tokyososyokai@gmail.com

  • リレーメッセージ第6回
    吉添圭介氏(北高39期/昭和63年卒)

    吉添圭介と申します。吉添理恵子の「兄に頼めばよいや。」という安易な指名により、令和元年のオオトリを務めることとなりました。どうぞよろしくお願いいたします。
     「このHPを私の拙文で汚してよいのだろうか。」と恐れおののきながら、参考のために過去のリレーメッセージを見ると、・・・4回目までは、27期(昭和51年卒)の先輩方の格調高いメッセージ。自分には無理だ、と逃げ出したい気分。でも、前回の我が妹のメッセージは、・・・申し訳程度に高校時代の思い出に触れつつも、終始一貫、自分が出版社で編集した本の宣伝。なんという格調の低さ!妹よ、ハードルを下げてくれてありがとう!
     と言っても、私には、皆様が関心のありそうな話題も、宣伝する材料さえもなく、とりとめのないメッセージになりそうです。ご容赦を。

     今日はクリスマス。我が家でも、小学一年生の息子の枕元にはサンタさんからのプレゼントが置いてありました。実は、昨日の晩、息子に「パパ、サンタさんが来るところを見たいから、スマホのビデオをここにセットして、一晩中この部屋の入口が映るようにしておいて。」と頼まれ、対処に困っていました。作戦を考え、今朝、「サンタさんって人に見られるのが嫌だから、一晩中起きている人のところや監視カメラのあるところには来ないんだって。一晩中起きて待っていてプレゼントがもらえなかった子もいるんだって。このことを思い出してよかったよ。もし撮ってたら、来てもらえないところだった。」と説明し、喜んで納得してもらえました。「猿蟹合戦」(動物はもちろん、牛の糞や臼までもが大活躍するお話)でさえ、「これって本当の話なのかなあ。」とまだ半分は信じる気持ちのあるお年頃です。しばらくは真実を隠しておきたいものです。
     そんな息子が、来年早々、剣道教室に見学に行きます。何を隠そう、私は、高校時代は剣道部員。その後、大学でも剣道部に入り、社会人になっても細々とですが剣道を続け、質実剛健、文武不岐を合言葉に、彼女いない歴も長期に渡る硬派な人生を過ごしてきました。以前は剣道を勧めても嫌がっていた息子が行く気になったきっかけは「みーちゃん(幼稚園時代の美人同級生)が剣道を始めたいんだって。」の一言です。この軟派ぶり、パパの硬派ぶりからは考えられません。
     息子のお友達の半分ぐらいはサッカー教室に行っています。ママも昔は「サッカーをやらせたい派」でしたが、今のママは、「剣道をやらせたい派」になっています。息子が(きっかけはともかく)剣道に興味を示していることを喜んでいます。今年「ONE TEAM」で有名になったラグビーの紳士ぶりに比べ、サッカーには、「オレがオレが、という自己中心的な性格が求められる。審判が見ていないところで悪いことをする。サポーター同士が殴り合い、殺し合う。」というイメージがあります(サッカー部の方、申し訳ありません。若干誇張した悪いイメージです。もちろん、私のイメージではありません。高校時代のサッカー部の友人はみなイイ奴です。)。剣道の場合は、「一本」を取ってガッツポーズをするとその「一本」を取り消されるという礼儀に厳しい武道です。柔道のようにオリンピック種目になると、そういう良い面が失われるため、日本の剣道界がオリンピック種目になるのを拒んでいると聞いています(「オリンピック種目になれないからそう言っているだけだろう。」などと、からかわれることもありますが。)。こういう話をしながら「サッカーより剣道がよいかもよ。」とママを洗脳して来たのが、最近効いてきたようです。

     最後に、仕事の話も少し。私は、今、消防職員が救急救命士の資格を取るための研修所に勤務をしています。建築物の不燃化や防火意識の高まりなどにより火事は減少していますが、救急搬送は高齢化などで増加し続けています。お正月は餅をのどに詰まらせて救急車で運ばれないようご注意下さい。
    (救急振興財団審議役、救急救命東京研修所副所長)

    2019年12月25日掲載

         

         

  • リレーメッセージ第5回
    吉添理恵子氏(北高42期/平成3年卒)
    第4回の羽田昭彦氏(北高27期/昭和51年卒)からのご紹介です。

    この度リレーメッセージのご指名を受けました、吉添理恵子と申します。どうぞよろしくお願いいたします。
     約30年前の松江北高生時代は、合唱部の練習に励む毎日でした。また、休み時間や放課後に図書室で本を借りまくったり、司書の先生や友達と、小説や漫画の話に花を咲かせていたのもよい思い出です。
     そこで培われた本への愛が止まらず(?)出版社に入社。20年近く女性漫画誌に関わった後、現在は児童書編集部で『ちびまる子ちゃんの整理整とん』『マナーとルール』『時間の使いかた』などを担当しています。(子どもの生活に役立つ内容を漫画で楽しく紹介していますので、お子さんやお孫さんにオススメです♪←宣伝)
    そんな中、初めて担当した図鑑『博学王 13 1/2のビックリ大図鑑』が今秋発売されました。世界トップクラスの図鑑出版社DK社から世界15か国で刊行され大人気のエンタメ図鑑で、大迫力のビジュアルと、知的好奇心を刺激する80テーマ、「いつも食べているバナナはクローン!?」など1テーマにつき13項目プラスアルファのビックリ知識がギッシリつまっているのが特長です。(←また宣伝)
     そしてこの度、日本の「博学王」といえばこの方! 林修先生が、この図鑑を推薦してくださいました。インタビューさせていただいたのですが、その際に林先生から、こんな興味深いお話をおうかがいすることができました。
     「この図鑑はビジュアルもテーマも解説もまとまりすぎていないからこそ、子どもは読むとさらに調べたくなるだろうし、自分なりにまとめたくなるでしょうね。大事なのは、そうやって自分なりに好奇心を持って、整理して咀嚼した知こそが、真に自分のものになるということ。そして、長く財産として残るということなんです。」
    林先生も小学生の頃、大河ドラマから「源氏」にハマって、図鑑や百科事典、歴史本などを片っぱしから読んで、清和天皇からの家系図を作り続けたとのこと。調べたことをどう自分なりに整理するか、試行錯誤を繰り返すうちに、歴史が得意になっていたそうです。
     そういえば私も、中・高時代に小説や漫画にハマったときは、何度も読み返したり朗読したり、それに飽き足らず相関図を作ったり、果ては登場人物に宛てて日記を書いたりしていたっけ…(私のは完全に黒歴史ですが)。でもそれが現在の編集者という仕事につながっているのですから、案外ムダではなかったのかもしれません。
    松江北高は、勉学はもちろんですが、部活や文化祭(懐かしのページェント!)をはじめ、自分が興味を持ったこと、好きなことに邁進できる、よい学校だったなあと、今になって思います。東京在住のため息子たちを松江北高に通わせることはできず残念ですが、彼らにもそんな実りのある高校生活を送ってほしいなあと思っています。
     そうそう、林先生は、こうもおっしゃっていました。
    「子どもが興味を持つには、何かしら外部からの情報が必要です。どこに反応するかわからないから、親はたくさんの情報を与え続けることが大切。「知の入口」となる『博学王』の中から、僕の「源氏」のように、自分だけの“好き”を見つけてもらえたらと願っています。」

     これからのクリスマスシーズン、お子さんお孫さんへのプレゼントにぜひ、『博学王 13 1/2のビックリ大図鑑』をご検討ください♪(←最後まで宣伝にて失礼いたしました!)
    『博学王 13 1/2のビックリ大図鑑』特設サイト

    2019年11月28日掲載