総会

東京双松会第65回総会ご案内

東京双松会第65回総会のご案内
令和2年(2020年)10月17日土曜日11:00~15:00
場所:品川プリンスホテル宴会場
講演:宇田川貴生氏(北高31期/S55年卒)
日本バスケットボール協会
理事
講演テーマ【日本スポーツ界の現状と課題】
講演要旨【Bリーグ開幕、八村選手NBA、東京オリンピック等、日本バスケットボールの現状そして日本ス
ポーツ界の課題】
講師プロフィール:
公益財団法人日本バスケットボール協会(JBA)理事、審判委員長/インテグリティ委員長、審判担当ダイレクター
*integrity:誠実・高潔・真摯、組織のリーダーやマネジメントに求められる最も重要な資質

2020年2月7日更新

東京双松会総会報告(第64回)

 報告🆕
第64回総会 参加者100名
品川プリンスホテル バンケットタワーにて開催致しました。
盛会にご協力頂きました事、事務局一同感謝申し上げます。

第64回総会 井原勝美会長挨拶 

どうもみなさんこんにちは。今日は全部で100名前後の参加者と聞いております。年次別のテーブルとなっておりますが若い方もいらっしゃいますので、ぜひ世代を超えて交流されたらいいと思います。今日は松江から4名の方、それに近畿双松会の会長さんも来られまして全部で5名の来賓を迎えていきます。どうもご参加ありがとうございます。また、改めての紹介になりますけれども、前回の総会で毛利さんが本会の副会長に就任されました。毛利さんは北高の昭和51年の卒業生で、東大に進まれてその後国土交通省のトップであります事務次官に就任されて、昨年退任されました。毛利さんと同期の方は、文芸春秋に紹介されたことがありますので、ご覧になった方もいらっしゃると思いますけれども、毛利さんの同期の方はずいぶん優秀な方が多いな、というのがその時記事を読んだ感想でした。
私はこの一年、ある民間の教育にかかわっている会社と縁ができまして、昨今の教育に関わる課題について色々議論する機会を得ております。今、小中高の受験、その内容が大きく変わろうとしておりますので、この場を借りてそこで議論した内容についてその一端をみなさんとシェアしたいと思います。ただお断りしておきますけれども私は教育の専門家でもありませんし、内容についてそう深く理解しているわけでもありませんので、若干表層的な話にとどまるかと思います。ですが、今話題になっている課題のキーワードくらいはお話ができたらいいなというふうに思っております。
まず一点目ですけれども大学入試が変わろうとしております。これは連日マスコミに取り上げられて、色んな新聞に書かれておりますのでそれをご覧になっている方もいらっしゃると思いますけれども、来年からその様相がやや変わってまいります。一つは大学共通入試テストというのが導入されまして、その試験に記述試験が導入されるということであります。今、全国に大学は約800校近くあると聞いていますが、驚くことにその過半数の大学が選択問題だけで、文章を書かずして入試の合否が決まるという実態があるようであります。そうなりますと表現力がまったく磨かれないということになりますので、それを修正しようという意図です。わずかなことでありますけれども、国語と数学の一部に、記述試験が導入されるということであります。これについてマスコミから強い反対もありまして、例えば、採点の公平性はどうやって担保するんだ、というような話があります。といいますのは、ある一定の期間で全受験生の採点をしないといけないわけですので、学生のアルバイトを使った採点の体制を取らざるをえないようでありまして、それについて公平性がちゃんと担保されるのか、という心配を投げかけられているということです。これはどうしても乗り越えないといけない課題ではないかというふうに思います。それから次にもう一つ変わるのが、英語の4技能試験。それも民間の試験を活用するという方向です。今まで英語の試験というとリーディングとヒアリングを非常に重視してきましたけれども、それに加えて、書くことと話すこと、この四つの技能をはかる民間試験を導入しようというのが、その変化点であります。私も経験しましたけれども大学までは一応英語はちゃんと取ったつもりでありますが、実社会に出て実際に外人と話す機会では、何を言っているかさっぱりわからない、言いたいこともしゃべれない、というような状況でした。そういうのじゃやっぱり困るということで、この四技能をなるべく早い段階から習得しようというふうな教育方針に変わるということであります。これについても非常に反対意見が強くて、今マスコミで非常に大きく取り上げられています。それは実際この四技能をテストする会場を全国に何か所作ればいいのか、それから必要となる試験官を確保するのにどうしたらいいのかということについて、中々明確に民間試験の実施主体がはっきりさせられないという状況があります。また、それに対して高校の校長先生をはじめとして大きな反対意見がありまして、時期がちょっと早すぎるのではないかとか、もう一回考え直したらどうだというような話になっております。大学の方もこの試験の方法をどう活用するかはばらばらでありまして、ある大学は積極的に活用する、またある大学はまったく参考にしないというような状況があり、今その賛否両論が飛び交っているというような状況であります。文科省は現在のところ、これについてはスタンスを変えていないで、ぜひ実施したいというスタンスでいます。ただこれは今後どうなるかちょっと油断を許さない状況ではないのかなと思います。
二つ目の話題でありますけども、いわゆるS T E M教育、S T E MというのはサイエンスのSとテクノロジーのTとエンジニアリングのEと数学のMですね。いやだなあと思われる方もいらっしゃるかもしれませんけども、この四つに専門性を持つ人材をもっと輩出しなければならないというような問題意識です。確かに今民間企業の間ではいわゆるAIとかデータサイエンスといわれるような領域の人材が圧倒的に不足しておりまして、企業の中でそういった領域ができるような人材の再教育を多くの企業が手掛けているという状況ではないかと思います。遅まきながら教育界もそれに対応するプログラムをちゃんと用意しなければならないという問題意識が出ておりまして、再来年から小学校でいよいよプログラミング教育っていうのが必須としてはじまることになっておりますし、中学、高校でもプログラミング教育のみならずいわゆるインターネット含めた情報に関して、もう少し知見を深めるような教育プログラムを整備するというふうな状況になっています。中国やインド、アメリカにくらべると圧倒的にAIやデータ解析する人が供給不足でありまして、私はこういった領域で日本の産業の競争力は将来的に大丈夫なのか、という懸念を持っております。やや手遅れ感はありますけれども、やっとそういった動きがこれからはじまるというような状況になっています。
 それから三番目ですけれども、リカレント教育。これは我々の世代は学校を卒業して一つの企業に就職すると一生そこで勤めるというのが常識的なキャリアでしたが、人生百年時代ということで、副業ですとか転職ですとかあるいは定年後の就職機会ということに非常に関心が高まっております。それに呼応する形で、誰でもいつでも再教育を受けられるような教育環境を整備していくということです。つまり就学と就労というのを何度も反復できるような社会にしていくべきであるという考え方があって、望めばいつでも再教育を受けられるという環境を提供していこうという動きがあります。もちろんそれを受け止めるのは第一次的には大学でありますが、我々は大学でのそういうプログラムはちょっとハードルが高いという感じがします。そこで、一つ、二つ紹介したいですけれども、私の実体験も含めて申し上げます。
CourseraUdemyについて。
これらの機関がウェブを使った教育プログラムを提供しております。それ以外にもたくさんありますけれども、これは非常に使い勝手のいい、かなり効率的、効果的なウェブでありまして、是非覗いてみられることをおすすめします。
Coursera
というのはスタンフォード大学を中心とする英語の講義でありますけれども、下に全部スクリプトが出てきますので、多少英語ができる人だと、このコースは非常におもしろいと思います。無料のプログラムも結構用意されております。
Udemy
は無料もありますけどほとんどが有料で、日本語のコースです。なにか興味があれば、ぜひこういったウェブの教育プログラムを活用して、少し知識を横に広げるなりさらに興味があるところを深めていくということに活用されたらいいのではないかと思います。
以上駆け足ではありますけれども、昨今の教育にかかわる話題について三つのことに触れさせていただきました。最後ですけれども、年一回、北高あるいは松高のOBとして母校がどうなっている、と思い起こさせるのはこの雑誌ではないかと思います。昨今、この雑誌から松江北高という字を見つけるのが難しくなってきております。これから新しく就任された常松校長先生には、ぜひこういった進学面でも松江北高を発展させていただいて、全国の普通高校の中でもきらきら輝くような高校に進化をさせていただけたら嬉しいなと思います。そういう期待を申し上げて私の冒頭のご挨拶にかえさせていただきます。どうもご清聴ありがとうございました。
(事務局より:会長よりの本挨拶は令和1年10月19日になされたもので、今日の状況とは若干異なること、ご承知おき下さい)
2019年12月7日掲載

     

総会記念講演 山田佐世子氏(S41年/北高20期)

「人生100年時代に備える」
~老いも若きも身体の持ちはお手入れ次第~
【健康運動指導士、元千葉県健康生活コーディネーター、水泳&アクアフィットネスインストラクター、オークスベストフィットネス上志津パーソナルトレーナー】
山田氏の指導の下、参加者全員が運動を行うという「参加型」のとても充実した時間でした。エクササイズ後のランチタイムでしたので、美味しいお料理やお酒を一層楽しむことができました。

講演詳細 2019年10月19日

私はゆりかごから墓場までと言われていた団塊ピーク2025年問題の一番みんなに嫌われる世代です。今8ルームって校長先生おっしゃいましたけれど私たちの時は確か13ルームまであって、後ろを振り向くとごみ箱があって壁ぎわまで50人くらいが入っていて後ろでおしゃべりをして遊ぶなんていう広さではなかったことを思い出します。今日そうそうたる方がお話しされた後に高校で末席を汚していた私がお話をするのははばかられますが、先日の台風15号19号で甚大な被害があったばかりで、ご親族やお友達が被害にあわれた方に先ずお見舞いを申し上げたいと思います。
また明るい話題ではラグビーとともに、吉野彰さんがノーベル化学賞を受賞されました。そのニュースの新聞にリチウム電池の博士論文を見出したのが島根県産業技術センター特別顧問の吉野勝美さんと書いてあったんですね。それでちょっとググってみましたら、松江高校の先輩ということが分かりました。ノーベル賞の吉野さんと同じ吉野さんで今77歳におなりだそうですけれども、「自分が生きているあいだにノーベル賞をもらってほしいと思っていたことが現実になった」いうことが書いてあって、私もとても誇らしい気持ちになりました。私は2年の時は科学の山形先生が担任で、女子が7人しかいなくて典型的な理科系クラスにいたのですが、科学のテストでたぶん赤点をとったんじゃないかな…「いつお前、落第でもう一回二年やれよっ」て言われるかどきどきしていたのをこのノーベル賞を機に思い出しました。そんなわけで今でも人生の中でとても残念だなあと思うのは、高校のときになぜしっかりと勉学をしなかったのか、家も学校も先生も友達も勉強一生懸命できる環境におかれていたのに、もっと本当にスタディすればよかったなと、そういう思いが吉野彰
さんと同じ71歳になった今でも思います。松江北高は勉学にとてもいい環境だったなと思っております。
私は健康運動指導士として、最近は中高年の健康づくりのお手伝いをしております。今日健康づくりっていうと一番気にかかるのは認知症であったり糖尿病の予防であったり、そして肩こりであったり肥満を解消したいとか、色んな心身の不調を抱えてらっしゃったり経験された方もあると思いますが、10月11日の新聞に「腰痛や肩こりが各3兆円の経済的損失である」という記事を目にしました。一生の間に80パーセント以上の人が悩まされる腰痛、その経済的損失は年間約3兆円にのぼる、と試算が出ておりました。受験生から超高齢者100歳近くまで腰が重いとかだるいとか不調の方いらっしゃると思います。今日は幅を広げるとポイントがぼけますので、3兆円の損失を出さないためにも、私たちの老後が楽しく軽やかに過ごせるためにも、腰痛対策中心にお話をさせていただきたいと思います。
今日早くからおいでになられている方は、ずっと座っていらっしゃいますので、今はもう30分1時間、学生さんでも30分に一回は立たせましょうとかそういう時代になっております。お足元が悪い方とか、どこか痛いとかで立てない方は別ですけど、とりあえず手の重さは3キロとか頭の重さも5・6キロとかもありますので、このままの姿勢を取っていると体に良くないです。なので、みなさんと一緒に体を動かしてから本題に入らせていただきたいと思います。
腕から手は3㎏くらい、頭は5㎏くらいありいずれも重たいです。たまには両手を上に上げ「バンザーイから手を組んでゆさゆさゆすって、頭首背骨身体全体ゆすりをかけてほぐしましょう、貧乏ゆすりは関節がほぐれ、1日に何度もするといいですよ。
「ほぐれたところで体力チェックです。両腕胸で交差して押し付け、胸からはなれないようにして、ゆっくり立ち上がれますか?」次は「同じようにして、片足で椅子から立ち上がれますか?」・・・「片足立ちできない人がでてきましたね。人は歩く、階段の上り下りになどにも一瞬片足で支えられないと移動できないので、片足で支えることは大事です。」
特に腰を守り、足腰丈夫にいつまでも歩けるように、『筋トレ4つ、誰でもできる簡単なものをまとめました。『イ~~チ』鼻で吸い込み、『ニ~~イ』口で吐き出しながら、ゆっくりリズムをとりながら、“ゆっくり筋トレ”実行継続してください。(『転ばぬ先の杖を作ろう!』参照)
歳をとれば筋力はだれでもおちていきますが、身体を動かしたら、栄養を回すために野菜たっぷりも大事ですが、魚肉・大豆乳製品をしっかり摂って、毎日の食事からも体力をつけていきましょう。
健康つくりのお話は聴いただけでは、何の役にも立ちません、是非実行していただけることを願っております。

山田佐世子さんよりメッセージ
「松江北高・学び舎の思い出」

お遊戯した講堂、友と机を並べた教室、夏中泳いだプール、汗だくで走った校庭などに足を踏み入れれば、佇まいが多少変わっていても、先生や友達の顔が浮かび、昔の記憶が甦ってくることだろう。高校を出てから50年以上の歳月が経っているのだから、校舎の移転、建て替えも当然のことである。かつて通った幼稚園から小学校・中学校・高校は存続しているのだが、松江北高が現在の場所に移転した時に、それら全てが別な場所に移ったことになった。故郷の学び舎を喪失した。たまの帰省で、かつて通った学校の横を通ってみたり、校舎に佇んでセピア色の思い出に浸る楽しみがなくなってしまったのは寂しい。
だが、通学したことはない現在の松江北高校は、懐かしい場所だ。私の実家は北高、通称『赤山』の下、石橋町から登る通学路にあり、当時は松江第一中学校だったが、学校の庭は小学生であった私達の恰好の遊び場だった。そびえる二本松の円形階段を上ったり、校舎の後ろにあった笹薮に忍び込んだり、友達としょっちゅう坂道登って行っていた。細かい赤土にまみれて遊んだ。学校に出入り自由なのんびりした時代だったんだなーと思う。放課後の校庭では陸上部や野球部などが部活していたのだが、子供心には中学生よりもずっと年長のお兄さん、お姉さんに映っていた。
また中学校で水泳部だった私は、県大会に向けて松江市代表選手の合同練習があり、夏休みには当時作られた各中学のプールを持ち回りで移動し、炎天下遠い四中にも自転車を走らせたし、一中でも泳いだ経験がある。プールは校庭正面にあった。あの場所は、今の仕事に繋がっていった水しぶきの思い出も刻んでくれた。
母の生前、里帰りした時に娘を連れ、春日神社から北高へと奥谷町を散歩したことがある。裏側から急な石段を昇った。子供の頃の記憶では広い大きな校庭が目に入るはずだったが、手狭な感じがした。もちろん学び舎としての思い出は皆無である。
城見縄手から坂を上ると、正門に至る。その横に同期の彫刻家・西村文男さんの作品が卒業生から寄贈されたと聞き、足を運んだ。優しい作風に心が和み、去り難たかった。家族が皆亡くなり、故郷の色合いが変わってしまい足は遠のいたが、友に会いにまた帰ろう!その折には松江北高校は是非訪ねてみたいところのひとつである。

総会風景1 主賓席・大先輩席

(下段写真左側)最前列の主賓席左から、双松会幹事長金平憲様、松江北高校長常松徹様、東京双松会会長井原勝美、東京双松会副会長毛利信二、北高校内幹事 足立芳樹先生、双松会副会長泉雄二郎様、近畿双松会会長 松本耕司様

卒業期毎のテーブルで昼食会を兼ねて、歓談のひと時を過ごしました。

総会風景2  岩井翔平【H22年/北高61期】ミニ・リサイタル

エンターテイメントは、現在テノール歌手として活躍中の岩井翔平さんによるミニ・リサイタルを楽しみました。
岩井さんは、島根大学教育学部を卒業後、東京藝術大学音楽学部声楽家を卒業され、オペラ・カンツォーネ・日本歌曲・ミュージカル等々幅広いレパートリーをお持ちです。総会では「ふるさと」を始め、馴染み深い素晴らしい歌声を披露して下さいました。

総会風景3 ランチタイムの交流会

写真左(昭和40年代卒業生のテーブル)
写真下左側と中央(昭和50年代卒業生)
写真下右側(昭和50年代卒業生)

総会風景4 ランチタイムの交流会

写真右と下左・中央(昭和50年代後半~60年代の卒業生)
写真下右側平成の卒業生

総会風景5 校歌斉唱

左写真
「赤山健児の歌」
「松江北高校歌」
大岩篤郎氏のリードです。

第64回総会 毛利信二副会長挨拶
みなさんこんにちは、ご紹介をいただきました、北高27期・理数科6期卒業の毛利と申します。東京双松会の副会長を仰せつかりましたので、どうぞよろしくお願い申し上げます。
まず、今年も度重なる台風で大きな被害が出ております。お亡くなりになられた方のご冥福をお祈りし、被災されたみなさまにお見舞いを申し上げます。昨年の夏、平成最悪の豪雨災害となりました西日本豪雨災害に対して、国土交通事務次官として、被災者の救出・救命や施設の応急復旧、避難所に入られた方々の生活支援などに全力であたっておりました。しかし、再び今年もこういう大きな被害が発生してしまい、「天災は忘れたころにやってくる」と申しますが、「忘れる間もなくやってくる」と言ったほうが良いくらいです。近頃雨の降り方が変わった来たとお感じの方もいらっしゃると思いますが、実際、非常に強い雨、バケツをひっくりかえしたような雨とでもいいましょうか、時間雨量にして50ミリ以上、こういう強い雨が降る量が5年前に比べて4割も増えておりますし、全国の市町村の約9割には土砂災害の危険区域があり、活動している111の活火山に、見つかっているだけでも2000の活断層がある我が国は、いわば危険と隣り合わせということかもしれません。国や自治体も一生懸命対策に取り組んでいるのですけれども施設整備が追いつかないところもあります。この上は、やはり市民一人一人が確実に避難できる、命だけは守られるような、社会全体でそういう態勢に変わっていかなければいけないんじゃないかと考えているところであります。
さて、私事で恐縮ですが、この3月に、前の小山校長先生に招かれて、母校北高になんと卒業以来初めてうかがって、1年生2年生相手にお話をしてまいりました。110分というかなりの長時間、生徒のみなさんあの体育館に体育座りしたままで…途中疲れて、トイレに行ったりとか、かなり昔だったらタバコ吸いにいった人もいたでしょうかと思うんですけれど、そういう生徒さん一人もいなかったものですから、驚きました、あまりおもしろい話でもなかったと思いますが、最後まで熱心に聞いていただき、そして立派な感想をあとで寄せていただいて、むしろこちらが感激をしたくらいでした。改めて、さすが北高だと感じました。そして、話のタイトルは「北高生に期待する」としたのですが、終わってみれば、改めて北高生に期待したいな、としみじみと感じた次第でございました。
まもなく新天皇の即位の儀式がございます。ぜひみなさまと一緒にお慶びし、そして令和の時代になりましたので災害が多かった平成を振り返って、今度こそ穏やかな平和な年になりますように、みなさまとともに祈りたいと思います。余計なことながら、「五風十雨」という言葉があります。五日にいっぺん風が吹き、十日にいっぺん雨が降る、ごく当たり前の状況、すなわち穏やかな状況をいう言葉だそうであります。ぜひ五風十雨の時代になりますようにというふうに、お祈りしたいと思います。
最後にお忙しい中多くのご来賓にお越しいただきまして本当にありがとうございました。そして実は台風の直前でありながらこの総会の準備に関わっていただいた幹事のみなさん本当にありがとうございました。何より今日お足元が悪い中ではありましたけれどもこうして大勢のみなさん、会員のみなさんにお越しくださいましたこと本当に感謝申し上げます。皆様のますますのご健勝とご発展、そして我が母校松江北高のさらなる発展と、そしてこの東京双松会のいやさかを祈念致しまして、簡単ですが締めのご挨拶とさせていただきます。どうも本日は誠にありがとうございました。
2019年12月10日掲載

第63回総会 前会長挨拶 芦田昭充(S37年卒)

 本日は多数のご出席賜りまことにありがとうございます。事務局が頑張ってくれたおかげと思いますが一過性ということでなくて、ずっと続けていただきたいと思います。皆さんは常連メンバーというぐらいで頑張っていただきたいと思います。
 最初に、ご来賓の方をご紹介致します。松江北高から小山校長先生、松江北高から武藤校内幹事、双松会幹事長の金平さん、近畿双松会副会長の梅木さん、広島双松会会長の大木さん、本日はゲストで講演いただきます田部長右衛門さん、歌手の山根万里奈さんです。
 私は今年の会報に、日本は「もっている国」だと書きました。少し日本については間違ったイメージとか誤解が多い。実は、日本は大変すばらしい国であるということをそこで書きました。ここで触れませんので、もし暇がありましたらぜひお目通しをいただきたいと思います。
 昨今ちょっとみてみますと、自然災害が非常に多い。地震、台風、大雨による土砂災害とかありますが、このように連続して起きるということは、実は百数十年前、江戸時代の末期に固まって自然災害が出てきたというのがございます。徳川幕府が崩壊する約10年前ですが、1853年に南海トラフ地震で3万人亡くなった。それから翌年の1854年、江戸の首都直下型地震で1万人ぐらい亡くなったと。ところが、1855年、大きな台風がやってきて高潮で江戸のまちが大洪水になったと。これで何と10万人亡くなったのです。当時の江戸は世界最大の都市なのですが、100万人しかいなかった。そのうちの10万人ですから、10分の1が亡くなったと。大津波が来ますと、コレラというのがはやります。コレラがその後二、三年続き20万人亡くなった。ということは、この高潮及びその後で30万人、30%の人が亡くなったのです。これがやはり江戸幕府の力を弱めた最大の原因。薩長は武力で倒したのですがその前に相当体力を使っていた。こういうことが現在の日本で起きたらいけない、日本の国土強靱化、これは毛利前国交省事務次官が本日ご出席ですから、一生懸命やっていただいたし、現在もやっていただいていると思います。我々が個人ベースでできることは、備えあれば憂いなしで、まずミネラルウオーター、水、それから電気、ガスがなくても食べられる非常食を1週間分ぐらい常にもっておく。これがやはり大切ではないかなと。それで日本国家、あるいは郷土というのを人の面から支えていくことが必要ではないかと最近つくづく災害が多いときに感じます。こういう場で話すのは少し外れているのですが、外れていることをわかっていて承知しながら、実は皆様にこのように注意をお願いしている次第です。
 最後になりますが、実は、私、今回この会をもちまして会長をひかせていただき、次は井原勝美さんに。
井原さんは皆様ご承知と思いますが、昭和44年北高卒、北高その後東京工業大学にお入りになりまして、バスケットをずっと続けておられたと。高校のときにはインターハイで全国4位まで上がられたスポーツマンです。そしてソニーにお入りになり、最後はソニーフィナンシャルの会長をお務めになった。井原さんはパワーもある、インテリジェンスもある、リーダーシップもあるということで、ぜひ井原新会長のもとでこの会をさらに元気よく、元気づけていただくということで、そういう最後の希望を申し上げまして、私の挨拶にかえさせていただきます。どうもありがとうございました。

第63回総会 会長挨拶 井原勝美(S44年卒)

今回はかなり若い人もふえ、本当に楽しい良い会になったと思います。本当にたくさんのご参加頂きありがとうございました。来賓の方ですが、小山校長先生を初めとして、松江から、あるいは近畿から、そして広島からたくさんの方、お忙しい中お越し頂き感謝申し上げます。
 芦田会長からご紹介ありましたが、少し補足させて頂きますと、昭和44年北高20年の卒業で校舎は川津にありました。1学年11ルーム、1ルームが大体50人、ぎりぎりこれ以上入らないぐらいの机を入れて勉強、あるいは運動に励んだ時期です。今は川津に校舎はなく赤山ですけが、私はたまたま一中卒業生で、当時、一中は赤山にありまして、今の北高に行っても大変懐かしい思いがします。人によっては自分が学んだ校舎はどこに行ってもないのではないかというように少し寂しい思いをされる方がいらっしゃるかもしれませんけれども、幸いなことに私は赤山には大変なじみがありまして、今でも松江に帰るたびに今の北高にお邪魔させて頂いている次第です。
 我々昭和44年の卒業生は、学園紛争真っただ中の卒業で、浅間山荘事件とか、安田講堂事件とか、そういったきな臭い時代をちょうど卒業式を迎え、大学以来こちらで過ごしています。
 高校時代は多少勉強しましたが、専ら運動のほうに精を出し、当時島根県は全国の中でバスケット王国だったのです。地方大会、工業と北高はいつも双璧で、大体どっちが勝っても全国大会でいいところまでいくというような時代でした。私の時代はたまたま2年のときですが、全国4位の成績をおさめ3年のときにはこれはもしかしたら?と思ったが予選で松江工業に残念ながら1点差で負けました。その年は松江工業が全国制覇し、本当に島根県で優勝すると全国で優勝できるかもしれない、そういった本当によき時代でありました。ただ、その後、大変すぐれた、我々はセンコウ先生といっていましたけれども、退職され、工業にはワタナベ先生という名監督がおられて退職されて、バスケットの重心は能代工業のほうに移っていった。その後、全国的には精彩を欠いたかなという時代を過ごしました。大変充実して楽しい北高生活を送らせて頂いた。卒業後、約三十数年にわたってソニーでオーディオ、ビデオ、テレビ等、比較的皆さんのなじみのある事業をずっとやっていまして、これも大変楽しい経験をさせて頂きました。最後の9年ほどは、今度は余りなじみがない金融事業を致しました。ソニー生命保険、ソニー銀行というインターネット銀行、それからソニー損保という自動車保険の事業をやっていて、それも大変楽しい経験をして一昨年退職いたしました。これからちょっと遊べるかなと思っていましたら、ことしの6月から縁があり日立製作所の社外取締役を仰せつかった関係で、今夏、安来市の日立金属安来工場にお邪魔しお話を聞いてきました。もちろん工場があるというのは子どものころから知っていたのですけれども、一体どういうことをやっているのかというのは全くわからなくて、大変おもしろかったのです。本日、田部さんのお話しの「たたら」と非常に密接に関係がありますから、若干ご紹介させていただきたいと思います。安来工場は3,500名ぐらいの日立系の中で最大の工場です。鉄道の山手側と海側に巨大な敷地があって、非常に大きな工場で、まずそれでびっくりしました。つくっているものは、かなり特殊な金属、日立鋼といわれるぐらい、例えばシェーバーの金属とか、航空機に使われる一部の金属・汎用品ではなく非常に特殊に使われているような鉄をつくっているそうです。
 そもそもなぜ安来にそんな工場が生まれたのかということに興味があったのですが、これがたたらと密接に関係があり田部家がつくったたたら鉄というのを全国に輸送するのですが、当時は安来は天然の良港で、全国へのたたらの物流は安来港から運んでいたそうです。瀬戸内海もそうですし、北のほうに航路がみえたときには北への航路も全部安来港を経由してたたらというのは全国に輸送していたと。ディストリビューションの拠点だったそうです。しかしながら、さっき田部さんのお話にありましたように、たたら鉄の衰退とともに安来も衰退していったという時代があったそうです。
 それを救ったのが、いわゆる日産コンツェルンの創業者である鮎川義介さん。日産コンツェルンの創業者がこのたたらの鉄の話をお聞きになって、これはやはり日本に残さないといけないというようにすごく感じられて、そして安来にたたら鉄の文化をそのまま残すとともに、新しい鉄の製造拠点をあそこにつくろうということで、今日の日立金属の原型がそこに生まれたそうです。本人は戦前に、いよいよ満州で事業を興そうということで満州に行かれたわけですけれども、その際に工場の権利を当時の日立に統合して、それで今日の日立金属の原型が生まれたと伺いました。
あそこに巨大な工場があるというのは、田部さんたちの先代がやられたたたらのディストリビューションを基礎としてそこで発足したという話を聞いて、田部さんのお話を伺いながら、そうだったのだろうなという話がすごく心の中で響いたわけであります。近くに和鋼博物館という博物館がありますので、そこはたたらをどうやってつくるのかというたたらの歴史が非常にわかりやすく展示されておりますので、吉田村の帰りにぜひそこも訪れてみられたらいいのではないかなと話を聞きながら思いました。
 
最後に、このたび東京双松会の会長を芦田さんからお引き受けすることになりました。錚々たる先輩がいらっしゃる中、指名され非常に責任を感じておりますが、同時に一生懸命この会を盛り上げるべく、これから頑張っていきたいと思います。糸川さんが新しく事務局長になられますので、一緒に若い方も参画を求め、またこういった総会も来てよかったなと皆さんに思っていただけるように総会運営も少し工夫し、これからこの会を盛り上げていきたいと思っておりますので、皆さん、どうかこれから先のサポートをぜひよろしくお願いしたいと思います。
 これで今回の総会をお開きとさせていただきます。きょうはいろいろなところから、遠方からご参加していただいた方が多々いらっしゃると思います。どうも本当にありがとうございました。次回また全員とお目にかかりたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

第63回総会 基調講演

【田部家750年 たたら製鉄550年 そして島根10年】

田部長衛門氏(平成10年卒 北高49期卒業)
中央大学卒業後、フジテレビに入社、ニューヨーク支社勤務などの後、郷里に戻り田部家の25代当主として山陰中央テレビ代表取締役社長など約30の会社・団体を牽引。

講演内容はこちら

第63回 総会風景