総会&会報誌

東京双松会 第69回総会を終えて

2024年11月9日(土)12:00よりレストラン・アラスカにて
東京双松会第69回総会が開催されました。
詳細は以下のリンクをご参照ください。

2024年 第69回総会報告

2025年2月9日掲載

     

■歴代総会報告

第69回総会報告 2024年(令和6年)11月9日開催
第68回総会報告 2023年(令和5年)10月14日開催
第67回総会報告 2022年(令和4年)10月15日開催予定 (コロナ禍のため中止)
第66回総会報告 2021年(令和3年)10月16日開催予定 (コロナ禍のため中止)
第65回総会報告 2020年(令和3年)10月17日開催予定 (コロナ禍のため中止)
第64回総会報告 2019年(令和元年)10月19日開催
第63回総会報告 2018年(平成30年)10月13日開催
第62回総会報告  2017年(平成29年)12月11日開催
第61回総会報告     2016年(平成28年)11月10日開催 
第60回総会報告  2015年(平成27年)11月18日開催 
第59回総会報告 2014年(平成26年)11月5日開催  
第58回総会報告   2013年(平成25年)11月17日開催開 
第57回総会報告 2012年(平成24年)10月5日開催 
第56回総会報告 2011年(平成23年)10月10日開催  
第55回総会報告 2010年(平成22年)11月16日開催
第54回総会報告  2009年(平成21年)10月3日開催  
第53回総会報告  2008年(平成20年)9月13日開催 
第52回総会報告    2007年(平成19年)10月1日開催
第51回総会報告   2006年(平成18年)10月7日開催
第50回総会報告     2005年(平成17年)12月1日開催  
     

■各期同窓会

文藝春秋(2018年7月号)より転載
「同級生交歓:北高27期(昭和51年卒)」
2018/07/01掲載
三澤氏
(1957年卒 8期)
松高8期生卒業60周年記念同窓会報告(外部サイト)
2017/11/23掲載
小林信生氏
(1957年卒 8期)   
関東地区松高8期生傘寿記念同窓会報告(外部サイト)
2017/11/09掲載
1958年卒 (9期)
安達 三郎 氏他
松九子会(松高33年卒・9期 関東地区同期生会)報告
2017/11/02掲載
1957年卒 (8期)
8期生同窓会幹事
8期生第33回同窓会報告
2015/12/01掲載
1956年卒 (7期)
新谷 智人氏
松高7期同窓会(東京)還暦20歳第2の青春入りを祈念して 千鳥城讃歌
2015/11/16掲載
1956年卒 (7期)
吉田 昭寿氏
国宝松江城慶祝 松江高校7期東京同窓会報告
2015/11/15掲載
1982年卒 (33期)
坂本 龍二氏
松江北高校卓球部OB会 & 同窓会開催報告
2015/08/28掲載
1957年卒 (8期)
8期生同窓会幹事
昭和32年卒第8期生同窓会の紹介
2013/12/05掲載
1958年卒 (9期)
原 靖雄氏
松九子会(松高9期)同窓会報告
2013/06/13掲載
1957年卒 (8期)
8期生同窓会幹事
松江高校8期生・関東地区同窓会の紹介
2011/11/13掲載
1958年卒 (9期)
原 靖雄氏
松九子会(関東地区の松江高校9期同窓会)報告
2011/06/05掲載
1959年卒 (10期)
三原 紀男氏
湖山会古希の集い開催
2010/07/28掲載
1958年卒 (9期)
原 靖雄氏
松九子会(松高9期)同窓会報告
2009/12/26掲載
1956年卒 (7期)
新谷 智人氏
松高7期ホーランエンヤ同窓会 
2009/06/06掲載
1955年卒 (6期)
石倉 義朗氏
「どげな会」とホーランエンヤ
2009/05/24掲載
1957年卒 (8期)
今岡氏
昭和32年卒(8期生)古希記念同窓会紹介(外部サイト)
2008/12/16掲載
     

■他団体報告

福間三郎氏
(1957年卒 8期) 
東京松江会総会(30年度)に出席して(外部サイト)
2018/11/22掲載
福間三郎氏
(1957年卒 8期) 
東京松江会総会(29年度)に出席して(外部サイト)
2017/08/11掲載
福間三郎氏
(1957年卒 8期) 
東京松江会総会(28年度)に出席して(外部サイト)
2016/08/04掲載
福間三郎氏
(1957年卒 8期) 
東京松江会総会(27年度)に出席して(外部サイト)
2015/08/05掲載
福間 三郎氏
(1957年卒 8期) 
東京松江会総会(26年度)に出席して(外部サイト)
2014/10/13掲載
福間 三郎氏
(1957年卒 8期)   
東京松江会総会(25年度)に出席して(外部サイト)
2013/08/03掲載
福間 三郎氏
(1957年卒 8期) 
東京松江会総会(24年度)に出席して(外部サイト)
2012/09/16掲載   
福間 三郎氏
(1957年卒 8期)    
東京松江会総会(23年度)に出席して(外部サイト)
2011/09/26掲載
福間三郎氏
(1957年卒 8期)   
東京松江会総会(22年度)に出席して(外部サイト)
2010/09/26掲載   
福間三郎氏
(1957年卒 8期)   
東京だんだん会忘年会
2014/12/13掲載   
小林茂光氏
(1955年卒 6)    
東京だんだん会 隠岐の旅
2014/春掲載
      近畿双松会創立50周年記念総会報告
2008/11/30掲載
中村康一氏
(1965年卒 16期)   
松江北高校創立140周年記念 双松会総会 に出席して
2016/12/14掲載
泉宏佳氏
(1963年卒 14期)
松江北高創立135周年記念 双松会総会 に出席して(報告)
2011/12/12掲載
中村康一氏
(1965年卒 16期)
松江北高校創立130周年記念総会
2006/12/12掲載
     

■ゴルフコンペ報告

第7回
2017/6/3開催
第7回東京双松会ゴルフコンペ
高根護康氏(1980年卒 31期)
第6回
2016/12/10開催
第6回東京双松会ゴルフコンペ
高根護康氏(1980年卒 31期)
第4回
2015/4/17開催
第4回東京双松会ゴルフコンペ(案内)
高根護康氏(1980年卒 31期)
第3回
2014/12/13開催
第3回東京双松会ゴルフコンペ
高根護康氏(1980年卒 31期)
第2回
2014/9/2開催
第2回東京双松会ゴルフコンペ
高根護康氏(1980年卒 31期)
第1回
2014/03/08開催
第1回東京双松会ゴルフコンペ
高根護康氏(1980年卒 31期)
サークル設立準備のご案内    東京双松会ゴルフサークル設立準備中
高根護康氏(1980年卒 31期)
     

■会報

第9号 2018年(平成 30年) 9月14日
第8号 2017年(平成 29年 )9月 20日発行
第7号 2016年(平成28年)9月10日発行
第6号 2015年(平成27年)9月10日発行
第5号  2014年(平成26年)9月10日発行
第4号 2013年(平成25年)9月1日発行
第3号 2012年(平成24年)8月1日発行
第2号 2011年(平成23年)8月1日発行
創刊号 2010年(平成22年)9月1日発行

2021年会報誌 1

東京双松会会報誌をWEB版に致しました。
第64回総会直後、新型コロナウイルス(covid19)が発見され、この2年間「世界中の時が止まった」様相です。
東京双松会も2年前から時が止まったままの状態です……。
以下、左側の左側の写真をクリックして下さい。
掲載が遅くなりましたことを深くお詫び申し上げます。

     

2021年会報誌 2

井原勝美会長挨拶(北高20期/昭和44年卒業)  

     

2021年会報誌 3

第64回 総会報告 
東京双松会 第64回総会は、品川プリンスホテルのバンケットタワーにて開催致しました。
参加者100名(東京双松会会員の1割以上にご参加頂きました)。

     

2021年会報誌 4

第64回 総会記念講演
「人生100年時代に備える」
山田佐世子氏による、「実践を交えた会員参加型講演」は、たいへん好評でした。

     

2021年会報誌 5

懇親会&エンターテインメント
岩井祥平(北高平成22年卒)さんによるミニ・リサイタルを楽しみました。
卒業期毎のテーブルで昼食会を兼ねて、歓談のひと時。

     

2021年会報誌 6

第64回総会の締め括り 毛利信二副会長挨拶
活動報告
①第10回ゴルフコンペ(2019年10月29日)
②忘年会(2019年12月11日)

     

2021年会報誌 7

新年会報告(2020年1月31日)
近況報告「離れて暮らす家族への想いをつなぐ」
訪問型健康応援サービス「ナスくる」のご紹介

     

2021年会報誌 8

特別寄稿 
【東京】冨岡寛氏(北高22期卒業)第二の人生、商社マンから俳優に転身
【島根】羽田昭彦(北高27期卒業)松江観光協会メールマガジン〈あとがき〉集

     

2021年会報誌 9

特別寄稿続き
「松江老舗旅館の底力」
「たった1本のツイート(Twitter)で注文が殺到した会社の話」

     

2021年会報誌 10

2019年からWEBで始めた、リレーメッセージを改めて会報誌に掲載しています。
東京双松会の会員総数は約900名、メール登録会員は約300名。
コロナ禍で一時リレーメッセージもお休み中ですが、再開の準備中です!!!

     

2021年会報誌 11

リレーメッセージの第5回⇒第6回は、貴重な兄妹投稿です。
42期生吉添理恵子さん編集の力作「博学王13 1/2のビックリ大図鑑」は、お子さんへのプレゼントとして大好評でした(事務局会員より)。

     

2021年会報誌 12

リレーメッセージは、若手会員の参加も「ゆっくり」始まりました。
勿論、積極的投稿もお待ちしております!
投稿だけでなく、東京双松会関連リンク先も常時募集しております。
各期同窓会等々繋がり先をご存知の方はお知らせください。
tokyososyokai@gmail.com

     

2021年会報誌 13

20代会員の投稿!
何と、68期生(2017年卒業)の中西葉奈さんからです。

     

2021年会報誌 14

校歌 「さんみゃくうかびて」
赤山健児の歌 「あさひたださす」

     

令和3年度第66回東京双松会総会の開催について

新型コロナウイルスの感染状況は下げ止まりですが、首都圏ではワクチン接種もかなり進みました。
オリンピック開催まであと少しとなり、状況を観察しながら、事務局では総会の開催準備をしております。
前回総会で残念ながら中止となた講演・リサイタル・落語を、
出演者の皆様にお忙しい中ご調整いただき、今回第66回総会にてご講演並びにご披露いただけることとなりました。
会員の皆様におかれましては、ふるってご参加いただくようお願い申し上げます。
 
<予定している内容>
令和3年(2021年)10月16日土曜日11:00~15:00
場所:品川プリンスホテル宴会場

(仮)講演:宇田川貴生氏(北高31期/S55年卒)
日本バスケットボール協会
理事
講演テーマ【日本スポーツ界の現状と課題】
講演要旨【Bリーグ開幕、八村選手NBA、東京オリンピック等、日本バスケットボールの現状そして日本スポーツ界の改題】
講師プロフィール:
公益財団法人日本バスケットボール協会(JBA)、審判グループゼネラルマネージャー
審判/TO/インテグリティ委員長

ミニリサイタル:東京東京3世代のオペラ歌手!夢の共演!!
※出演者・詳細は左添付の画像をタップ
 
落語:一流商社マンから俳優兼落語家へ華麗なる転身!
   今回は麹家寛太による落語を披露!!
※出演者・詳細は左添付の画像をタップ

2021年3月19日

東京双松会総会報告(第64回)

総会記念講演 山田佐世子氏(S41年/北高20期)

「人生100年時代に備える」
~老いも若きも身体の持ちはお手入れ次第~
【健康運動指導士、元千葉県健康生活コーディネーター、水泳&アクアフィットネスインストラクター、オークスベストフィットネス上志津パーソナルトレーナー】
山田氏の指導の下、参加者全員が運動を行うという「参加型」のとても充実した時間でした。エクササイズ後のランチタイムでしたので、美味しいお料理やお酒を一層楽しむことができました。

講演詳細 2019年10月19日

私はゆりかごから墓場までと言われていた団塊ピーク2025年問題の一番みんなに嫌われる世代です。今8ルームって校長先生おっしゃいましたけれど私たちの時は確か13ルームまであって、後ろを振り向くとごみ箱があって壁ぎわまで50人くらいが入っていて後ろでおしゃべりをして遊ぶなんていう広さではなかったことを思い出します。今日そうそうたる方がお話しされた後に高校で末席を汚していた私がお話をするのははばかられますが、先日の台風15号19号で甚大な被害があったばかりで、ご親族やお友達が被害にあわれた方に先ずお見舞いを申し上げたいと思います。
また明るい話題ではラグビーとともに、吉野彰さんがノーベル化学賞を受賞されました。そのニュースの新聞にリチウム電池の博士論文を見出したのが島根県産業技術センター特別顧問の吉野勝美さんと書いてあったんですね。それでちょっとググってみましたら、松江高校の先輩ということが分かりました。ノーベル賞の吉野さんと同じ吉野さんで今77歳におなりだそうですけれども、「自分が生きているあいだにノーベル賞をもらってほしいと思っていたことが現実になった」いうことが書いてあって、私もとても誇らしい気持ちになりました。私は2年の時は科学の山形先生が担任で、女子が7人しかいなくて典型的な理科系クラスにいたのですが、科学のテストでたぶん赤点をとったんじゃないかな…「いつお前、落第でもう一回二年やれよっ」て言われるかどきどきしていたのをこのノーベル賞を機に思い出しました。そんなわけで今でも人生の中でとても残念だなあと思うのは、高校のときになぜしっかりと勉学をしなかったのか、家も学校も先生も友達も勉強一生懸命できる環境におかれていたのに、もっと本当にスタディすればよかったなと、そういう思いが吉野彰
さんと同じ71歳になった今でも思います。松江北高は勉学にとてもいい環境だったなと思っております。
私は健康運動指導士として、最近は中高年の健康づくりのお手伝いをしております。今日健康づくりっていうと一番気にかかるのは認知症であったり糖尿病の予防であったり、そして肩こりであったり肥満を解消したいとか、色んな心身の不調を抱えてらっしゃったり経験された方もあると思いますが、10月11日の新聞に「腰痛や肩こりが各3兆円の経済的損失である」という記事を目にしました。一生の間に80パーセント以上の人が悩まされる腰痛、その経済的損失は年間約3兆円にのぼる、と試算が出ておりました。受験生から超高齢者100歳近くまで腰が重いとかだるいとか不調の方いらっしゃると思います。今日は幅を広げるとポイントがぼけますので、3兆円の損失を出さないためにも、私たちの老後が楽しく軽やかに過ごせるためにも、腰痛対策中心にお話をさせていただきたいと思います。
今日早くからおいでになられている方は、ずっと座っていらっしゃいますので、今はもう30分1時間、学生さんでも30分に一回は立たせましょうとかそういう時代になっております。お足元が悪い方とか、どこか痛いとかで立てない方は別ですけど、とりあえず手の重さは3キロとか頭の重さも5・6キロとかもありますので、このままの姿勢を取っていると体に良くないです。なので、みなさんと一緒に体を動かしてから本題に入らせていただきたいと思います。
腕から手は3㎏くらい、頭は5㎏くらいありいずれも重たいです。たまには両手を上に上げ「バンザーイから手を組んでゆさゆさゆすって、頭首背骨身体全体ゆすりをかけてほぐしましょう、貧乏ゆすりは関節がほぐれ、1日に何度もするといいですよ。
「ほぐれたところで体力チェックです。両腕胸で交差して押し付け、胸からはなれないようにして、ゆっくり立ち上がれますか?」次は「同じようにして、片足で椅子から立ち上がれますか?」・・・「片足立ちできない人がでてきましたね。人は歩く、階段の上り下りになどにも一瞬片足で支えられないと移動できないので、片足で支えることは大事です。」
特に腰を守り、足腰丈夫にいつまでも歩けるように、『筋トレ4つ、誰でもできる簡単なものをまとめました。『イ~~チ』鼻で吸い込み、『ニ~~イ』口で吐き出しながら、ゆっくりリズムをとりながら、“ゆっくり筋トレ”実行継続してください。(『転ばぬ先の杖を作ろう!』参照)
歳をとれば筋力はだれでもおちていきますが、身体を動かしたら、栄養を回すために野菜たっぷりも大事ですが、魚肉・大豆乳製品をしっかり摂って、毎日の食事からも体力をつけていきましょう。
健康つくりのお話は聴いただけでは、何の役にも立ちません、是非実行していただけることを願っております。

山田佐世子さんよりメッセージ
「松江北高・学び舎の思い出」

お遊戯した講堂、友と机を並べた教室、夏中泳いだプール、汗だくで走った校庭などに足を踏み入れれば、佇まいが多少変わっていても、先生や友達の顔が浮かび、昔の記憶が甦ってくることだろう。高校を出てから50年以上の歳月が経っているのだから、校舎の移転、建て替えも当然のことである。かつて通った幼稚園から小学校・中学校・高校は存続しているのだが、松江北高が現在の場所に移転した時に、それら全てが別な場所に移ったことになった。故郷の学び舎を喪失した。たまの帰省で、かつて通った学校の横を通ってみたり、校舎に佇んでセピア色の思い出に浸る楽しみがなくなってしまったのは寂しい。
だが、通学したことはない現在の松江北高校は、懐かしい場所だ。私の実家は北高、通称『赤山』の下、石橋町から登る通学路にあり、当時は松江第一中学校だったが、学校の庭は小学生であった私達の恰好の遊び場だった。そびえる二本松の円形階段を上ったり、校舎の後ろにあった笹薮に忍び込んだり、友達としょっちゅう坂道登って行っていた。細かい赤土にまみれて遊んだ。学校に出入り自由なのんびりした時代だったんだなーと思う。放課後の校庭では陸上部や野球部などが部活していたのだが、子供心には中学生よりもずっと年長のお兄さん、お姉さんに映っていた。
また中学校で水泳部だった私は、県大会に向けて松江市代表選手の合同練習があり、夏休みには当時作られた各中学のプールを持ち回りで移動し、炎天下遠い四中にも自転車を走らせたし、一中でも泳いだ経験がある。プールは校庭正面にあった。あの場所は、今の仕事に繋がっていった水しぶきの思い出も刻んでくれた。
母の生前、里帰りした時に娘を連れ、春日神社から北高へと奥谷町を散歩したことがある。裏側から急な石段を昇った。子供の頃の記憶では広い大きな校庭が目に入るはずだったが、手狭な感じがした。もちろん学び舎としての思い出は皆無である。
城見縄手から坂を上ると、正門に至る。その横に同期の彫刻家・西村文男さんの作品が卒業生から寄贈されたと聞き、足を運んだ。優しい作風に心が和み、去り難たかった。家族が皆亡くなり、故郷の色合いが変わってしまい足は遠のいたが、友に会いにまた帰ろう!その折には松江北高校は是非訪ねてみたいところのひとつである。

総会風景1 主賓席・大先輩席

(下段写真左側)最前列の主賓席左から、双松会幹事長金平憲様、松江北高校長常松徹様、東京双松会会長井原勝美、東京双松会副会長毛利信二、北高校内幹事 足立芳樹先生、双松会副会長泉雄二郎様、近畿双松会会長 松本耕司様

卒業期毎のテーブルで昼食会を兼ねて、歓談のひと時を過ごしました。

総会風景2  岩井翔平【H22年/北高61期】ミニ・リサイタル

エンターテイメントは、現在テノール歌手として活躍中の岩井翔平さんによるミニ・リサイタルを楽しみました。
岩井さんは、島根大学教育学部を卒業後、東京藝術大学音楽学部声楽家を卒業され、オペラ・カンツォーネ・日本歌曲・ミュージカル等々幅広いレパートリーをお持ちです。総会では「ふるさと」を始め、馴染み深い素晴らしい歌声を披露して下さいました。

総会風景3 ランチタイムの交流会

写真左(昭和40年代卒業生のテーブル)
写真下左側と中央(昭和50年代卒業生)
写真下右側(昭和50年代卒業生)

総会風景4 ランチタイムの交流会

写真右と下左・中央(昭和50年代後半~60年代の卒業生)
写真下右側平成の卒業生

総会風景5 校歌斉唱

左写真
「赤山健児の歌」
「松江北高校歌」
大岩篤郎氏のリードです。

第64回総会 毛利信二副会長挨拶
みなさんこんにちは、ご紹介をいただきました、北高27期・理数科6期卒業の毛利と申します。東京双松会の副会長を仰せつかりましたので、どうぞよろしくお願い申し上げます。
まず、今年も度重なる台風で大きな被害が出ております。お亡くなりになられた方のご冥福をお祈りし、被災されたみなさまにお見舞いを申し上げます。昨年の夏、平成最悪の豪雨災害となりました西日本豪雨災害に対して、国土交通事務次官として、被災者の救出・救命や施設の応急復旧、避難所に入られた方々の生活支援などに全力であたっておりました。しかし、再び今年もこういう大きな被害が発生してしまい、「天災は忘れたころにやってくる」と申しますが、「忘れる間もなくやってくる」と言ったほうが良いくらいです。近頃雨の降り方が変わった来たとお感じの方もいらっしゃると思いますが、実際、非常に強い雨、バケツをひっくりかえしたような雨とでもいいましょうか、時間雨量にして50ミリ以上、こういう強い雨が降る量が5年前に比べて4割も増えておりますし、全国の市町村の約9割には土砂災害の危険区域があり、活動している111の活火山に、見つかっているだけでも2000の活断層がある我が国は、いわば危険と隣り合わせということかもしれません。国や自治体も一生懸命対策に取り組んでいるのですけれども施設整備が追いつかないところもあります。この上は、やはり市民一人一人が確実に避難できる、命だけは守られるような、社会全体でそういう態勢に変わっていかなければいけないんじゃないかと考えているところであります。
さて、私事で恐縮ですが、この3月に、前の小山校長先生に招かれて、母校北高になんと卒業以来初めてうかがって、1年生2年生相手にお話をしてまいりました。110分というかなりの長時間、生徒のみなさんあの体育館に体育座りしたままで…途中疲れて、トイレに行ったりとか、かなり昔だったらタバコ吸いにいった人もいたでしょうかと思うんですけれど、そういう生徒さん一人もいなかったものですから、驚きました、あまりおもしろい話でもなかったと思いますが、最後まで熱心に聞いていただき、そして立派な感想をあとで寄せていただいて、むしろこちらが感激をしたくらいでした。改めて、さすが北高だと感じました。そして、話のタイトルは「北高生に期待する」としたのですが、終わってみれば、改めて北高生に期待したいな、としみじみと感じた次第でございました。
まもなく新天皇の即位の儀式がございます。ぜひみなさまと一緒にお慶びし、そして令和の時代になりましたので災害が多かった平成を振り返って、今度こそ穏やかな平和な年になりますように、みなさまとともに祈りたいと思います。余計なことながら、「五風十雨」という言葉があります。五日にいっぺん風が吹き、十日にいっぺん雨が降る、ごく当たり前の状況、すなわち穏やかな状況をいう言葉だそうであります。ぜひ五風十雨の時代になりますようにというふうに、お祈りしたいと思います。
最後にお忙しい中多くのご来賓にお越しいただきまして本当にありがとうございました。そして実は台風の直前でありながらこの総会の準備に関わっていただいた幹事のみなさん本当にありがとうございました。何より今日お足元が悪い中ではありましたけれどもこうして大勢のみなさん、会員のみなさんにお越しくださいましたこと本当に感謝申し上げます。皆様のますますのご健勝とご発展、そして我が母校松江北高のさらなる発展と、そしてこの東京双松会のいやさかを祈念致しまして、簡単ですが締めのご挨拶とさせていただきます。どうも本日は誠にありがとうございました。
2019年12月10日掲載

第63回総会 前会長挨拶 芦田昭充(S37年卒)

 本日は多数のご出席賜りまことにありがとうございます。事務局が頑張ってくれたおかげと思いますが一過性ということでなくて、ずっと続けていただきたいと思います。皆さんは常連メンバーというぐらいで頑張っていただきたいと思います。
 最初に、ご来賓の方をご紹介致します。松江北高から小山校長先生、松江北高から武藤校内幹事、双松会幹事長の金平さん、近畿双松会副会長の梅木さん、広島双松会会長の大木さん、本日はゲストで講演いただきます田部長右衛門さん、歌手の山根万里奈さんです。
 私は今年の会報に、日本は「もっている国」だと書きました。少し日本については間違ったイメージとか誤解が多い。実は、日本は大変すばらしい国であるということをそこで書きました。ここで触れませんので、もし暇がありましたらぜひお目通しをいただきたいと思います。
 昨今ちょっとみてみますと、自然災害が非常に多い。地震、台風、大雨による土砂災害とかありますが、このように連続して起きるということは、実は百数十年前、江戸時代の末期に固まって自然災害が出てきたというのがございます。徳川幕府が崩壊する約10年前ですが、1853年に南海トラフ地震で3万人亡くなった。それから翌年の1854年、江戸の首都直下型地震で1万人ぐらい亡くなったと。ところが、1855年、大きな台風がやってきて高潮で江戸のまちが大洪水になったと。これで何と10万人亡くなったのです。当時の江戸は世界最大の都市なのですが、100万人しかいなかった。そのうちの10万人ですから、10分の1が亡くなったと。大津波が来ますと、コレラというのがはやります。コレラがその後二、三年続き20万人亡くなった。ということは、この高潮及びその後で30万人、30%の人が亡くなったのです。これがやはり江戸幕府の力を弱めた最大の原因。薩長は武力で倒したのですがその前に相当体力を使っていた。こういうことが現在の日本で起きたらいけない、日本の国土強靱化、これは毛利前国交省事務次官が本日ご出席ですから、一生懸命やっていただいたし、現在もやっていただいていると思います。我々が個人ベースでできることは、備えあれば憂いなしで、まずミネラルウオーター、水、それから電気、ガスがなくても食べられる非常食を1週間分ぐらい常にもっておく。これがやはり大切ではないかなと。それで日本国家、あるいは郷土というのを人の面から支えていくことが必要ではないかと最近つくづく災害が多いときに感じます。こういう場で話すのは少し外れているのですが、外れていることをわかっていて承知しながら、実は皆様にこのように注意をお願いしている次第です。
 最後になりますが、実は、私、今回この会をもちまして会長をひかせていただき、次は井原勝美さんに。
井原さんは皆様ご承知と思いますが、昭和44年北高卒、北高その後東京工業大学にお入りになりまして、バスケットをずっと続けておられたと。高校のときにはインターハイで全国4位まで上がられたスポーツマンです。そしてソニーにお入りになり、最後はソニーフィナンシャルの会長をお務めになった。井原さんはパワーもある、インテリジェンスもある、リーダーシップもあるということで、ぜひ井原新会長のもとでこの会をさらに元気よく、元気づけていただくということで、そういう最後の希望を申し上げまして、私の挨拶にかえさせていただきます。どうもありがとうございました。

第63回総会 会長挨拶 井原勝美(S44年卒)

今回はかなり若い人もふえ、本当に楽しい良い会になったと思います。本当にたくさんのご参加頂きありがとうございました。来賓の方ですが、小山校長先生を初めとして、松江から、あるいは近畿から、そして広島からたくさんの方、お忙しい中お越し頂き感謝申し上げます。
 芦田会長からご紹介ありましたが、少し補足させて頂きますと、昭和44年北高20年の卒業で校舎は川津にありました。1学年11ルーム、1ルームが大体50人、ぎりぎりこれ以上入らないぐらいの机を入れて勉強、あるいは運動に励んだ時期です。今は川津に校舎はなく赤山ですけが、私はたまたま一中卒業生で、当時、一中は赤山にありまして、今の北高に行っても大変懐かしい思いがします。人によっては自分が学んだ校舎はどこに行ってもないのではないかというように少し寂しい思いをされる方がいらっしゃるかもしれませんけれども、幸いなことに私は赤山には大変なじみがありまして、今でも松江に帰るたびに今の北高にお邪魔させて頂いている次第です。
 我々昭和44年の卒業生は、学園紛争真っただ中の卒業で、浅間山荘事件とか、安田講堂事件とか、そういったきな臭い時代をちょうど卒業式を迎え、大学以来こちらで過ごしています。
 高校時代は多少勉強しましたが、専ら運動のほうに精を出し、当時島根県は全国の中でバスケット王国だったのです。地方大会、工業と北高はいつも双璧で、大体どっちが勝っても全国大会でいいところまでいくというような時代でした。私の時代はたまたま2年のときですが、全国4位の成績をおさめ3年のときにはこれはもしかしたら?と思ったが予選で松江工業に残念ながら1点差で負けました。その年は松江工業が全国制覇し、本当に島根県で優勝すると全国で優勝できるかもしれない、そういった本当によき時代でありました。ただ、その後、大変すぐれた、我々はセンコウ先生といっていましたけれども、退職され、工業にはワタナベ先生という名監督がおられて退職されて、バスケットの重心は能代工業のほうに移っていった。その後、全国的には精彩を欠いたかなという時代を過ごしました。大変充実して楽しい北高生活を送らせて頂いた。卒業後、約三十数年にわたってソニーでオーディオ、ビデオ、テレビ等、比較的皆さんのなじみのある事業をずっとやっていまして、これも大変楽しい経験をさせて頂きました。最後の9年ほどは、今度は余りなじみがない金融事業を致しました。ソニー生命保険、ソニー銀行というインターネット銀行、それからソニー損保という自動車保険の事業をやっていて、それも大変楽しい経験をして一昨年退職いたしました。これからちょっと遊べるかなと思っていましたら、ことしの6月から縁があり日立製作所の社外取締役を仰せつかった関係で、今夏、安来市の日立金属安来工場にお邪魔しお話を聞いてきました。もちろん工場があるというのは子どものころから知っていたのですけれども、一体どういうことをやっているのかというのは全くわからなくて、大変おもしろかったのです。本日、田部さんのお話しの「たたら」と非常に密接に関係がありますから、若干ご紹介させていただきたいと思います。安来工場は3,500名ぐらいの日立系の中で最大の工場です。鉄道の山手側と海側に巨大な敷地があって、非常に大きな工場で、まずそれでびっくりしました。つくっているものは、かなり特殊な金属、日立鋼といわれるぐらい、例えばシェーバーの金属とか、航空機に使われる一部の金属・汎用品ではなく非常に特殊に使われているような鉄をつくっているそうです。
 そもそもなぜ安来にそんな工場が生まれたのかということに興味があったのですが、これがたたらと密接に関係があり田部家がつくったたたら鉄というのを全国に輸送するのですが、当時は安来は天然の良港で、全国へのたたらの物流は安来港から運んでいたそうです。瀬戸内海もそうですし、北のほうに航路がみえたときには北への航路も全部安来港を経由してたたらというのは全国に輸送していたと。ディストリビューションの拠点だったそうです。しかしながら、さっき田部さんのお話にありましたように、たたら鉄の衰退とともに安来も衰退していったという時代があったそうです。
 それを救ったのが、いわゆる日産コンツェルンの創業者である鮎川義介さん。日産コンツェルンの創業者がこのたたらの鉄の話をお聞きになって、これはやはり日本に残さないといけないというようにすごく感じられて、そして安来にたたら鉄の文化をそのまま残すとともに、新しい鉄の製造拠点をあそこにつくろうということで、今日の日立金属の原型がそこに生まれたそうです。本人は戦前に、いよいよ満州で事業を興そうということで満州に行かれたわけですけれども、その際に工場の権利を当時の日立に統合して、それで今日の日立金属の原型が生まれたと伺いました。
あそこに巨大な工場があるというのは、田部さんたちの先代がやられたたたらのディストリビューションを基礎としてそこで発足したという話を聞いて、田部さんのお話を伺いながら、そうだったのだろうなという話がすごく心の中で響いたわけであります。近くに和鋼博物館という博物館がありますので、そこはたたらをどうやってつくるのかというたたらの歴史が非常にわかりやすく展示されておりますので、吉田村の帰りにぜひそこも訪れてみられたらいいのではないかなと話を聞きながら思いました。
 
最後に、このたび東京双松会の会長を芦田さんからお引き受けすることになりました。錚々たる先輩がいらっしゃる中、指名され非常に責任を感じておりますが、同時に一生懸命この会を盛り上げるべく、これから頑張っていきたいと思います。糸川さんが新しく事務局長になられますので、一緒に若い方も参画を求め、またこういった総会も来てよかったなと皆さんに思っていただけるように総会運営も少し工夫し、これからこの会を盛り上げていきたいと思っておりますので、皆さん、どうかこれから先のサポートをぜひよろしくお願いしたいと思います。
 これで今回の総会をお開きとさせていただきます。きょうはいろいろなところから、遠方からご参加していただいた方が多々いらっしゃると思います。どうも本当にありがとうございました。次回また全員とお目にかかりたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

第63回総会 基調講演

【田部家750年 たたら製鉄550年 そして島根10年】

田部長衛門氏(平成10年卒 北高49期卒業)
中央大学卒業後、フジテレビに入社、ニューヨーク支社勤務などの後、郷里に戻り田部家の25代当主として山陰中央テレビ代表取締役社長など約30の会社・団体を牽引。

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第63回 総会風景